くじらくんの旅行

くじらくんは休暇を取って旅行に出かける。

とある海では、海底に街がしずんでいる。

くじらくんは、しおといっしょに、花のタネをまく。

海底都市からつきでた煙突や屋上には、

はなばたけができる。

くじらくんが上を通ったと思ったら、まちじゅうの女の子は

「天井にのぼって花をつんできていい?」と

おかあさんに聞くのである。

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日常とSF

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スケッチだの空を見たりだのしていると、大事なのは日常そのものであり、日常こそがすべてである、と言う感覚になる。それはそれで間違ってはいないと思うし、それだけで完全に充足できるならそれでもう何も言うことはない。実際、そうしたい。

ところが面白いファンタジーに出会うと、日常という天空に穴があいて、新しい宇宙、それもすでに知っていたはずの日常を新しい価値観でとらえ直す宇宙をかいま見せられる。

今読んでいるテッド・チャンなどはまさにそう言うストーリーを書く人だ。今まで知らなかった天空の穴を提示したり、あるいはわざわざ穴そのものをあけたりするのがSF作家の仕事なのだろう。こういうのに出会うと、やたらと創作意欲をかき立てられる。

でも本当は日々の仕事と雑事で追われている中で、さらに新しい世界を作るのは少しおっくうなのだが、それでも自分だけが発見した万華鏡を、ほかの人にも見てもらいたい欲望は捨てられないでいる。

上の絵は、新しい話のための素描。

いつも思うのだが、私が生まれる前から前に宇宙があり、日本ができる前から前に宇宙があり、人類が二足歩行する前から宇宙があり、生物が生まれる前から宇宙があり、地球ができる前から宇宙があり、太陽ができる前から、そして太陽の元となる星雲を作った星ができる前から宇宙があるという事実は、事実としてすべての人が認識するだけでも世界はもっと住みやすくなると思うのだが、どうだろうか。

歌を作るように。

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つくりたいのは、歌を歌うようにつくる話。

散文ではなく、詩としての物語。

今新しい話をつくろうとしているが、それを絵で表現すべきか文章で表現すべきか、ずっと迷っている。

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夜のクレーン。すでに話は思いついているのだが、絵が描けない。
というか、現在の私の技術ではかなりハードルが高い。
その2コマ目か3コマ目。
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エッフェル塔にアサガオを。

エッフェル塔の足もとにアサガオを植えてツルを絡ませて、花でいっぱいにしよう。
ファンタジーとしても。
そして実際にやってみたい。
もちろん、エッフェル塔に限らない。
自由の女神にクレマチス、万里の長城にハニーサックルを。
ぜひ、描きましょう。
話にしましょう。そして、本当にやろう。
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そして曇り時々雨。ピント兄弟

天気予報通り、朝から晩まで曇り時々雨のぱらつく天気。
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今、あたらしいはなしを考え中。
ドリトル先生の「サーカス」、「キャラバン」に出てくる空中ブランコ乗り「ピント兄弟」をモデルにした話。問題は、どんな結末にするか。とちゅうの絵は描けているんだが。