脚本の最後の砦は「遊び心」だ

いろいろ脚本の書き方とか書いていますが、そしてこれからもたぶん書きますが、一番いけないのは、「こういう風に書かなきゃいけないんだ」と思うこと。恐らくこのページを見ている人は「脚本 書き方」でgoogleとかで検索して、ほかの「脚本の書き方」もごらんになっていることでしょう。でもね、正直言うと「脚本の書き方」はどれもあなたに当てはまらないんです。なぜなら、あなたが書く「布団のたたみ方」は、恐らくアパートのお隣の人の書く「布団のたたみ方」と全く違うのと同様、書き方やその言い回しも変われば布団のたたみ方それ自体も微妙に違うからです。

じゃあ、いったいあなたはどうやって脚本を書けばいいのでしょうか。
いろいろ書いて、その都度自己満足と後日の後悔とから学ぶのが一番いいんです。
でもなんだかんだ言っても、一度は煮詰まります。
私だって、今でも1本脚本を書くたび、3,4度は煮詰まります。
そしてあなたがこのサイトやほかのサイトを参考に「脚本の書き方」通りに脚本を書いても、絶対に何度も煮詰まります。
そこから抜け出す方法は、ありません。開高健なんて、1つの小説を書くのに、何年も呻吟していたのですから。

じゃあ、どうしましょう。脚本を放り投げる? でもあなたの脚本を待っている人がいる。さあ、どうしよう。

ヒントは「遊び心」だと思います。
これは脚本に限らず、どんな作り物でも、特に観客や見る人を前提にした「アート」はみんなそうだと思います。
遊び心のない見せ物(アート)は、見る人も疲れます。
いわゆる「イイタイコト」が前面に出たものが得てして疲れさせたり、一通りの見方しか提供できない狭さを持つのはそのためと思います。
これまでの「脚本の書き方」からはみ出て、あなたが面白いと思うことを理屈抜きで混ぜてみてはいかがでしょうか。あるいは、それだけに忠実に脚本を書いてみてはいかがでしょうか。
絶対に面白いものになると思います。
よく言われることですが、作り手がおもしろがっていないと、見る人も面白くありません。
「こうあるべき」みたいな見せ物、「こう書くべき」として書いたものは、ゆとりがなくて、見る人はくしゃみ一つすることすらためらいます。
そんな観客、こっちが見ていても楽しくないでしょ?