本当のSFは理解を超越するー銀河ヒッチハイクガイド

 高校生の頃でしたか、やたらと本を読みました。いっちょまえに純文学とか読み出して、ドストエフスキーやら太宰治やらを読んだのもこのころ。
その中で異彩を放っていたのが、当時新潮文庫の「銀河ヒッチハイクガイド」。(現在は筑摩文庫)
SFのすごいところって言うのは世界のルールとか価値観をゼロからつくってしまうところにあります。単純に冒険活劇の舞台が宇宙であった、というのはSFとちがうんです(私見)。

 そう言った意味では今エピソード4ていうことになっているスターウォーズの最初のヤツなんてのは、すごかったですね。砂漠の民の日々の生活だとか、戦艦の1隻の大きさとかデススターの規模だとか、「あ、そんな考え方あり?」みたいなのが多かったように思います。見てる方も慣れてきたせいか、新作になるにつれて気の利いた「それあり?」が減って「愛」とか「正義」とかが全面になってしまいましたが、それはそれで仕方がありません。ルールや価値観を変えるということは、我々が当然と思っている価値観とは離れていくわけですから。そうなると、共感も減るので感動も減るし、「つまんネエ」と言われてしまいかねないので、そうなったら商業ベースに乗らないので、つくれないわけです。

 で、銀河ヒッチハイクガイドですが、これは「そんな価値観あり?」みたいなのをこれでもか、これでもかと気前よく読ませてくれるすごい小説でした。小説というか、本当はラジオドラマだったのをノベライズしたそうなんですが、それでもすごい。地球自体が、宇宙のバイパス建設のために破壊されてしまうことから始まって、ビールとピーナッツが空間移動の際の負担を和らげてくれるという解説、地球そのものが実は○○が○○の答えを導くために建造した○○だったとか、有名なのは不可能性ドライブの影響で2基の追跡ミサイルがマッコウクジラと鉢花に変わるところで、そのマッコウクジラが落下する途中で自己を形成するところとか、鉢花の自意識とか。なんでやねん!ていうつっこみも、「宇宙とはそう言うものだから」の前には無力です。言い尽くせないほどいっぱいありますが、このへんでよしておきます。

 そう考えていくと、SFというのは価値観が我々の常識に縛られないものほどすごい、ということになります。当然文体も、地球で常識のそれでは書き表せないものになるでしょう。じゃあすごければすごいほど、理解不能なことになっていくわけです。ま、そうなると作者以外には誰もわからないというか読めないものができあがって、結局日の目を見ないわけですが。

とにかく価値観を転換し、当然と思っていることを当然じゃなくし、それでいて宇宙と人生の本質に迫る(たぶん)小説です。
 映画もあります。よくここまであのむちゃくちゃなストーリーと世界を映画にできたなあ、ということに驚きです。小説とは筋が違いますが、脚本には原作者のダグラス・アダムスも関わっているみたいで、「何でやねん!」は満載です。

 話は変わりますが、我々とは異なる価値観を持つ世界を構築する、という意味では、実は時代小説も同じです。ただこちらは全くゼロからつくると怒られるわけですが、例えば「この時代の人にとって花を育てることってどういうこと?」ということも考えて構築しないといけないし、しかも同じ江戸時代でも前の方とあとの方では全然違うので、よく考えたら、ゼロから好き勝手につくっていいSFの方が楽かもね。