敬愛に経済合理性を

「命は大切だ」といろんな人が百万回言ったところで、あるいはその具体例を何万例も見せたところで、昨日言ったように保健所に送られる犬や猫の数は減らず、イジメの数も減らず、戦争で不合理に殺される人の数も、残念ながらすごく減っているとは言えません。
果たして、命は大切と言うことを訴えることが有効なのか。
そのことをもう少し根本的に考えてもいいのではないかと考え始めています。
私の私の家族の命を大切なように、私の敵になる人間も自分の家族が大切と思うことでしょう。敵か味方かになるかはすごく些細な動機で、それをあとで理屈付けするのが宗教やら人種やらお金だったりします。そしていったんそれに火がついたら、つまり憎しみの連鎖が始まったら、そのレートはどんどん上がる一方になります。
つまり発端となる愛が憎しみを増大させていくだけです。さらに憎しみには経済合理性があります。憎しみを解消するために武器を使い、貯蓄をはき出し、防御を固める。当然あいても同じように、お金をそう言うものに使うことでしょう。つまり武器関係の経済合理性はとても高い。だからこそ、憎しみはいったん火がついたらそれに薪をくべ続ける人間が存在する、と思います。
すなわち、戦争をなくすには愛に経済合理性を付加することがポイントなのではないでしょうか。家族の命から動物の命まで、全ての命への敬愛が経済合理性を伴えば、その増大に薪をくべ続ける人間が現れるはずです。たしかに、お金儲けとは縁がないからこそ、愛は無償で価値があるのかもしれません。しかし憎しみにだけ価値があるという原理に、何らかの終止符を打つ方法は考えなければなりません。
そう思いませんか?

敬愛に経済合理性を」への1件のフィードバック

  1. アメリカが戦争やっているのは儲かるから。石油メジャー、軍産複合体、ゼネコンなどなど。アメリカが押し付けた憲法9条のため、日本各地にアメリカ軍が常駐し、日本をいつでも潰せる。アメリカに逆らえないから、国際法違反のイラク戦争に加担し、アフガンテロにも加担し、イスラム世界に反日国家を着実に増やしているし、国際貢献じゃないくテロ国家アメリカ支援だ。今の植民地状態で9条改正したら、アメリカにとって都合が良すぎる。独立国家というのは経済的、軍事的の独立が最低条件。
    資本主義は儲け主義だから他国の資源奪うために戦争するというのは合理的。

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