脚本は伝わってナンボです

 脚本の書き方4回目は、脚本をわかりやすく伝える必要性についてです。
 創作物は往々にして作者の「表現」であるが故に、意味に関して独善的であっても許される素地があります。平たく言うと、「アートは意味じゃなくて表現だから、作者がわかっていればそれでいい」と許されます。
 他の分野はいざ知らず、脚本はしかしアートではありません。理由は、演出家や役者、スタッフに理解してもらい、彼らのフィルターを通して観客に伝わらなければいけないからです。もちろん、伝わるのは脚本家が書いた時に意図した意味と変わっていてもかまいません(これについてはまた別の機会に書きます)。いずれにせよ、脚本は「伝わって初めて意味を持つ」創作物です。このへんが絵画などと違うところで、つくる側は伝えるための仕掛けを用意しなければなりません。

仕掛けの中でもっとも大事なのは、構成です。幕がいくつかあり、その中に場がいくつかあり、その中に人物の出入りがあり、人物が話すセリフがある…。という入れ子構造を頭に入れ、それぞれがどんな意図を持つのかも書き手は意識する必要、もしできれば書く前に設定する必要があります。意図のないセリフ、意図のない人物の登場、意図のない場…などあり得ません。もちろん意図のない小道具、意図のない間、意図のない音楽なども出せません。なぜなら書いた瞬間から、演出家や役者にとって、それらは「脚本を理解する手がかり」=「意味のあるもの」として存在し始めるからです。(逆に言えば、脚本家が意図を以て書き込んだものを、読み込めない演出家や役者はあまり有能ではないといえるでしょう。)

 また同じ意味で、表記も大切。同じ人物を「田中」と書いてあるか「タナカ」と書いてあるかで、読み手は別の意味を感じ取ろうとします。同じ意味を持つものは同じ表記で、というのも鉄則です。

 なぜこんなにうるさく書くのかというと、何度も言うように脚本は「伝わってこそ意味がある」ものだからです。確かに描き手が脚本に込めた意図を演出家はそのまま理解してくれるとは限りません。しかし、できるだけそうしてもらえるように最大限の努力を払う必要があります。そうでなければ、なんのためにこの脚本を書いたのか、それ自体が演出家に渡した途端意味を持たなくなってしまいます。それではあなたが脚本を書く必要はなくなってしまうでしょう。伝わるべく最大限の努力をすることは、何より、書いているあなた自身のためでもあるのです。

 次回は構成について。これこそが脚本の命です。