物語自身が媒体を選ぶ

先日、物語はいろんな形で表出できると書きましたが、やや訂正を必要とするようです。
テーブルの洋食器に盛りつけるか、和食器に盛るか、弁当箱に入れるかで素材の料理方法、盛りつけ方法が変わるように、物語も形を変えます。
媒体がちがえば制約条件もちがい、そのために物語自体も変えなければなりません。必要な結末に向けて発端や経緯を変更する必要が生じるかもしれませんし、逆に発端を生かして結末を変更する必要が生じるかもしれません。
なぜこんなことを考えたのかというと、実は今までつくった物語を別の媒体で再現しようとしたからです。…イヤ、難しい。というよりも、そうやろうとして、ここ数日とても窮屈な気持ちがしていました。やれないことはないけど、楽しくない。
そして私は、物語をある媒体にはめ込むには、物語そのものを変えなければならないことに気がつきました。

そこで思い出したのは横溝正史の「獄門島」です。原作の小説と市川崑監督の映画とでは、ストーリーも結末も(犯人でさえも!)ちがう。こんな映画にしたらさぞ原作者は怒るだろうなと思っていたら、何と横溝正史自身もこの映画にでています。つまり、ストーリーと結末の改編は原作者も同意しているというか、むしろそれに積極的に参加したことを伺えます。
さて。これはどういうことか。
横溝正史は媒体によって物語は変化すべきということを知っていたのではないか。物語はどんな媒体にでも押し込んでよいということでははない。それをやると窮屈になる。作者が楽しくない物語を、見る人が楽しめるとは思えない。
むしろ逆に、媒体ありきで、新しい物語を考える必要があるということです。
あるいは、物語ありきで進めるならば自ずと媒体は選ばれているはずだということでしょう。物語を構想した段階で、知らないうちにある程度媒体は決まっている。媒体自身が物語を選ぶということでしょうか。
とにかく、私は新しい媒体のために新しい物語を考えるか、新しい物語を考えてそれが媒体を選ぶのを待つことにします。

物語自身が媒体を選ぶ」への10件のフィードバック

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