「ベタな物語」とMac

わかりやすい話はエンタテイメントの本流です。
韓国ドラマがはやりだした頃、おそらく日本の多くの脚本家は「何でこんなベタなものが?」と思ったことでしょう。

なぜなら、とんがったセンスこそが「かっこいい」はずだからです。「交通事故・記憶喪失・記憶が戻る・実は兄妹」というのは今日の日本の脚本家にとっては、禁じ手です。もっとさりげなく、行間を読むのがかっこいいはず。しかしそのためにわかりにくさを生み、一生懸命見ないと「理解できない」話ばかりでは、誰もドラマは見ないでしょう。「これはどういう意味なんだろう」「あれは伏線だったのか」などとよけいなことを考えずに、見たまんまとセリフの文字だけを追っていけばいいなんて、とても安心です。だからこそ、韓国のドラマは日本の視聴者に支持されるのでしょう。また橋田壽賀子さんの「渡る世間」が支持される理由の1つでもあるのでしょう。
エンタテイメントは、選ばれた人にだけ開放されたアートとは違います。可能な限り多くの人に支持されてこそ、よいエンタテイメントといえるのかもしれません。
ここでふと、自分が使っているMacについて思いを巡らせました。こんなにかっこいいのになぜみんなが使わないのか? ビル・ゲイツのマーケティングのうまさとかあるのかどうか知りませんが、あまりにもベタなWindowsマシンはある意味、韓流ドラマななのかと思った次第です。