検索エンジンに引っかからない?

ここ数日更新しませんでした。モチベーションがすごく下がったので。
というのも、実はこのブログの単語は検索エンジンに引っかからないのではないか?という疑念が大きくなり…。
このブログはPHPを使ったblogn(ブログン)というシステムを使っています。MovableTypeなど一般的なブログとちがって動的生成です。これは聞くところによると検索エンジンに拾われにくいらしい。
困りました。いろいろ書いても、拾われないんじゃ寂しい。
暇ができたらMovableTypeに乗り換えようかな…。また苦労が…。

物語自身が媒体を選ぶ

先日、物語はいろんな形で表出できると書きましたが、やや訂正を必要とするようです。
テーブルの洋食器に盛りつけるか、和食器に盛るか、弁当箱に入れるかで素材の料理方法、盛りつけ方法が変わるように、物語も形を変えます。
媒体がちがえば制約条件もちがい、そのために物語自体も変えなければなりません。必要な結末に向けて発端や経緯を変更する必要が生じるかもしれませんし、逆に発端を生かして結末を変更する必要が生じるかもしれません。
なぜこんなことを考えたのかというと、実は今までつくった物語を別の媒体で再現しようとしたからです。…イヤ、難しい。というよりも、そうやろうとして、ここ数日とても窮屈な気持ちがしていました。やれないことはないけど、楽しくない。
そして私は、物語をある媒体にはめ込むには、物語そのものを変えなければならないことに気がつきました。

そこで思い出したのは横溝正史の「獄門島」です。原作の小説と市川崑監督の映画とでは、ストーリーも結末も(犯人でさえも!)ちがう。こんな映画にしたらさぞ原作者は怒るだろうなと思っていたら、何と横溝正史自身もこの映画にでています。つまり、ストーリーと結末の改編は原作者も同意しているというか、むしろそれに積極的に参加したことを伺えます。
さて。これはどういうことか。
横溝正史は媒体によって物語は変化すべきということを知っていたのではないか。物語はどんな媒体にでも押し込んでよいということでははない。それをやると窮屈になる。作者が楽しくない物語を、見る人が楽しめるとは思えない。
むしろ逆に、媒体ありきで、新しい物語を考える必要があるということです。
あるいは、物語ありきで進めるならば自ずと媒体は選ばれているはずだということでしょう。物語を構想した段階で、知らないうちにある程度媒体は決まっている。媒体自身が物語を選ぶということでしょうか。
とにかく、私は新しい媒体のために新しい物語を考えるか、新しい物語を考えてそれが媒体を選ぶのを待つことにします。

浦沢直樹さんの物語の構造=プルートーをつくったのはゲジヒト

浦沢直樹さんと言えば、今「PLUTO」がすごい人気です。私も月に1回しかない(時には2ヶ月待つこともある)この連載をすごーく楽しみにしています。もちろん1〜3巻まで全部持っています。
「MONSTER」も読みました。今、遅ればせながら「20世紀少年」も読んでいます。現在まだ5巻までですが。いずれも感じることですが、引き込まれるのですが、あえて誤解を恐れずに言うと、読んでいて「楽しくない」のです。
なぜだろうか考えてみました。
この3つの作品とも、すごく困ったこと(ネガティブイベント)が起こって、それをノーマルな状態に戻す物語だからではないでしょうか。MONSTERはヨハン、20世紀少年は「ともだち」、PLUTOは「プルートー」です。PLUTOはまだ3巻なのでほかの2つを中心に考えると、物語は
  主人公がきっかけでネガティブキャラクターの萌芽ができる
     ↓
  ネガティブキャラクターは主人公の知らないうちに巨大化している
     ↓
  主人公がネガティブキャラクターの存在に気づく
     ↓
  主人公は責任感と使命感を以てネガティブキャラクターの排除を試みる
     ↓
  何度かの失敗を経て排除に成功する
という構造ではないでしょうか。
さて、そう考えると、PLUTOにおけるゲジヒトの謎も解けそうです。ほかの2つの場合、ネガティブキャラクターをつくったのは、主人公本人。と言うことはプルートーをつくったのもゲジヒトではないでしょうか?

物語をつくる練習1

物語をつくるのは難しくありません。
身近なところから練習はできます。まずは通勤の電車から。
茶髪のカップルがいるとします。疑問を持つことが大事。
  なぜ茶髪どうしでカップルなのか
     ↓
  つきあう前から茶髪かも
     ↓
  もし一方が茶髪でなかったら、つきあわなかったかも知れない
     ↓
  じゃあ、男の方が突然黒髪に戻したら別れるのかも
     ↓
  だとしたら赤髪にしたらどんな展開が?
結婚する、とか茶髪と別れて赤髪の女とつきあう、というのもいいのですが、更に想像を膨らませましょう。
  赤であることを女に隠すために、髪を全部剃る
ここまで来たらついでに
  剃った髪を編んでヒモにして、女と自分の小指にくくりつける
ハッピーエンドになりました。めでたしめでたし。

物語の表出方法はいっぱいある

こないだから●●るsilent-storyをいつかお見せします、と書いておりましたが、ここ数日、ほかにも物語の見せ方を思いつき、いったいどの作品をどんな方法で人の目に見える形にすればよいのか迷っております。
ええっと、こんな時に頼りになるのは現役で何かをつくっている人の言葉。料理研究家・辰巳芳子さんが、たまたま私が温泉にいった時に見たテレビでこんなことをおっしゃっておりました。
「いいものをつくるには、ものに沿うこと」

この言葉はいろんなものに当てはまりそうですが、この場合は物語に沿うことを考えましょう。
つまり、それぞれの話がどんな形を与えられることを望んでいるのか=どんな形にすると、一番その話の魅力が伝わるのか、を考えることにしました。

1つ1つ難しい課題を与えられることになりました。遠回りになりそうですが、たぶんこれが誠実でよい方法なのでしょう。
今後にご期待下さい。

真のモバイルは紙だ

札幌と函館を往復しました。
車中でノートにテキストを書きました。列車が揺れても安心。キーを打ち間違う心配なし。しかも膝の上でも、手で持つだけでもOK。すごい、ノートって最高のモバイル!
でも後で打ち直さないとアウトプットできないんですが。この弱点にさえ目をつぶれば最高。でも最大の弱点。

PDAは消えてしまった?

このところ出張が多いので、移動中の時間も仕事をしたりアイデアを書いたりしたいなと思うことが増えました。そう言う時に便利なのが、WindowsCEなどのOSを乗せたPDA。しかし!ないんです。
そういえばPDAと言う単語を聞かなくなったような気がしていました。それは自分の関心が薄れたからだろうと思っていましたが、実は衰退していたのか! 昔は持っていたんですが。モバイルギアとか、シグマリオンとか。どれも買った当初はいいけど、そんなに使わなくなって手放したんです。よく考えたらあまり書くべきことってなかったし。
しかし最近の私の生活はちょっと違う。時間がない。なにしろよく寝るものだから。でもってこのところ出張が多い。しかし欲しい時にPDAはなし。ああいうものはもうなくなってしまうんでしょうか。iPodは出力オンリーだし、W-ZERO3は親指で打たなきゃならないし、だいたい4万円近い値段は高すぎる。
…明日は函館です。片道3時間40分。求む、安くてキーボード付きで、できればLANケーブルもついたPDA。