脚本は脚本家が「書く」べき?

今回は書き方ではないですが、いつも脚本を書く時に思っていることを少し。
脚本はそれ自体で「作品」ではなく、演出家や役者やスタッフのクリエイティビティを経て「演劇」になった時に初めて観客に評価される作品になると思っています。
ではそこで疑問に思うのが、脚本はなぜ脚本家一人が書かなくてはならないのか、ということです。
なぜ演出家や役者、スタッフとのミーティング、ブレインストーミングがないのでしょう。劇団の代表が演出家と脚本家を兼ねている(しかも時々役者まで兼ねている)家父長的団体であれば、脚本家の意見は絶対のものになるでしょう。しかし、観客の前に演出家も役者もスタッフも、そして脚本家も平等であるはずです。そして「演劇」という作品の出来について、関わる全員に責任があるはず。
ということは、脚本の作成過程から他の全員にも参加してもらうべきではないでしょうか。
船頭多くして、ということわざもあるので、あくまでコンセプトを主導するのは脚本家で、意見が割れた時にもストーリーのプロである脚本家の主張が尊重されるべきでしょう。
そんな風な演劇づくりがされることはないのでしょうか。
少しそれに近いものを狙って、現在執筆中の「ススキノ脚本」ではブログという形で全員の意見を出せるようにしたのですが、まだプロデューサーがこまめに意見を書いてくれるものの、演出家は1回だけで、後はまだありません。ぜひもっと活発な展開にしたいところです。が、上演が延期になってしまいました。
全員がはじめから参加すれば「書いたものが勝手に台詞を変えられている」という、脚本家をバカにした事態もなくなると思うのです。上演された舞台のおもしろさに責任を持つのは演出家ですが、かといって演出家だけでおもしろさを作っているわけではなく、役者、スタッフ、脚本家も含めてそれを担っています。意志を尊重しないで役者の演技を変える、一方的に台詞を変更するのは、やはり演出家は家父長的な存在だと考える人が多いからでしょうか。

セリフは文語である

よく誤解されていることですが、セリフは一見「人(役者)がしゃべる言葉」であるが故に、口語と思われています。
しかし古今東西の脚本を丹念に見ればわかることですが、セリフは口語ではありません。「〜ですわ」なんてのは、その典型で、そんな語尾でしゃべる人はほとんどいません。またセリフのように、日常で念入りに意味の込められた発言をする人なんていません。
つまりセリフとは、作者の主観記述とも違い、また日常で我々がしゃべる言葉とも異なる、第三の日本語といってよいと思います。そのことをセリフを書く時に強く意識する必要はありませんが、街中で採取した言葉こそがセリフだと勘違いすることだけはさけて欲しいところです。セリフとは「脚本」という表現形式の中だけで現れる1つの様式と思ってください。この様式を、それぞれの登場人物に応じて適度に当てはめることが必要です。
様式を無意識に用いすぎると、演劇になじみのない人には「くさい」「気色悪い」という演劇嫌いの要因にもなります。

物語の新しい媒体

何とか「切って折って自分でめくれる」silent-storyをアップしました。
まだ説明もオペレーションも不足していますが、何とか形だけでもと思い。
もしよければぜひダウンロードして、お試しください。
サイトの方にはきちんとかけませんでしたが、まだまだこのタイプのsiletn-storyをつくるつもりです。

いずれも
・言葉がわからなくても話はわかる
・PCに(印刷以外は)頼らない
・どこにでも持ち運べる=好きな話といつも一緒
ということが最大の利点です。もしほかに類似のもがあったとしても、あるいはこれからあるとしても、この3つのメリットだけはオリジナルでありたいと思います。
世界には(天災・人災によらず)理不尽に家族を亡くしてしまった人、あるいは自分自身をなくしてしまった人が多すぎます。その人たちのために、何らかの形で物語が役立つことを考えれば、この形が今わたしに考え得る最大限のアプローチです。
これなら極小のコストであまねく人々に物語を提供できると思うのです。そのためのコンテンツと媒体をセットにしたメディアをつくってみたわけです。
もちろんそのためには、このようにコンテンツと媒体だけではなく、さらに流通をになう部分を誰かにお願いしなければなりません。あるいはコンテンツの中に広告欄をつくって広告料をいただき、それを以て流通のお金をつくる必要があるでしょう。
とにかく、まだまだこれからです。まずはコンテンツをさらに増やします。

短い詩, Japanese only.

実はこのサイトとは別に、短い詩のブログをつくっています。
たまあーーーーにしか更新しません。
よかったら見てください。
短詩、書きっぱなし http://short-poem.blogspot.com/

silento-storyではあまり季節感などいれられませんが、詩の方は短いだけに、しかも全く推敲しないことをモットーにしているので、つまり書きっぱなしでほったらかしで、すぐにアップで、つまり旬の季節感は入っているはず。
But sorry , Japanese only.

お金がなくても、言葉がわからなくても、ポケットに忍ばせられる物語

手で渡せる範囲の人にはすでにごらんいただいていますが、ずーーーっと前から「○○る」silent-storyということで予告していたものをようやく、アップするつもりです。
まだ1コンテンツしかないので迷っていたのですが、次とその次と、うまくいけばさらにその次まで新しいネタができそうなので、とりあえず。
ただ、どのようにホームページという媒体に掲載すればいいのかちょっとわからない部分もあるので、まあ、ひょっとしたらさらに次の週末になってしまうかもしれませんが。
でも、ぜひご期待ください!
わたしの目標は、「世界中の誰もが楽しめる物語」です。そのためには言葉からもお金からもフリーなコンテンツでなければ。インターネットを楽しめるのはパソコンを持っている人だけ。パソコンというのはお金を持っている人しか楽しめないので、本来のわたしの目標からちょっと遠い。それを解消するための、大きな一歩だと、勝手に思っています。
誰もが自分の好きな物語をポケット忍ばせているようになれば。そのためのツール、第一弾です。繰り返しますが、お楽しみに。でももう手渡しで見てしまった人は、その次に乞うご期待。

さあ、2つに折りましょうか

昨日までに書いたように、物語はいくつかの軸が互いに関係し合うことで成立します。
でもどう考えてもそれらの関係がうまくいかない時があります。
そんなときにはやはり基本に戻って考えるべきです。が、その基本とはなんでしょうか。
いわゆる4コマ漫画でいう「起承転結」? 能でいう「序破急」?
でもそれってすごく頭で考えた理屈であり、すでにある物語を分析したものでしかありません。実際に物語を考える時には、そんな風には組み立てられないものです。なぜなら、強い風の合間合間に風景が見えるように、あなたの目には必要なシーンがいくつか見えているからです。
そんなときには、思い切って「ラストシーンを物語の中間に持ってくる」ことです。
ラストシーンはおそらくあなたのとっておきの風景に違いありません。しかしそれをあえて中間に持ってきます。
あなたはそこから新しい物語を、つまりラストシーンのその後、をつくらざるをえません。
どうです、新しいパラダイムが見えてきませんか?
大切なことは「これが大事」と思っていたものを、そうでなくする思い切りです。それによってあなた自身が思いもよらなかった物語を作ることができます。そのことがもっとも大事です。あなたがすでにわかっている物語なら、あなたの新しい可能性は開拓できません。脚本化は完成するまで誰のだめ出しも受けませんから、自分の可能性をつくるには、自分で今までの価値観を投げ捨てる思い切りが必要なのです。
当然、ラストシーンを中間に持ってくると、それまでに予定していたシーンを短くしたり、あるいは削除することが必要になります。それによっても、当初想定していたのと異なる物語を作るきっかけが生まれます。
さあ、思い切ってラストシーンを中間に。
誰もが当たり前と思っていたことを覆すくらいの転換が必要です。例えば痴呆症の夫と彼を介護する妻がいたとしましょう。半分くらいのところで、実は痴呆症は妻で、夫は自分が痴呆のふりをすることで妻を介護していた、と判明させてはどうでしょう。すると、そこから先の展開がすごく楽しみになりますよね。