今日は3月11日でした。おそらく9年前の今日は何をしていたか、一瞬でも考えなかった人はいなかったのではないでしょうか。
そしてこの9年間に被災地の人たちが感じたことや考えたこと、それに対して自分が過ごしてきた9年を考えると、いたたまれない気持ちになります。正直に申し上げて、とても過ごしにくい日でもあります。毎日をさほど真面目に過ごさなかっただろうと、責められているようで。
自分がこの9年間についた嘘や過ごした怠慢などをどう折り合いをつけたものか。
そして世界を見渡せば、シリアの内戦やアフリカの貧困から地中海を渡ろうとする難民の人々がいて、それ以外にも大勢の困っている人がいて、彼ら、彼女らに対しても無力で、かつ放置していた自分もいます。
そしてけっきょく、こうした自分のやましさについて、100%解決はできないと思いました。完璧な人生を達成することも、完璧な一日を過ごすことも、たぶん無理。
できる最高ラインがあるとしたら65%。なんとなくですが。6割5分までうまくいったら100点をあげましょう。僕に。それならなんとかやっていけそうです。
…ちょっとまってください。今、表題のストーリーを見失っています。
戻します。つまり、誰しもやましい部分はあるのだろうと思います。そこにつけこんで、ネットではいろいろなフェイクニュースが流れます。やましさは自分の正当化を促しますので、誰それが悪いとか、こういうやつが嘘を言っているとか、あそこで陰謀があるとか。そういうニュースがあると人は自分の罪悪感から自由になれるので、飛びついちゃうんです。
でも最近はちゃんとファクトチェックすをする民間の機関ができています。それが本当なのかどうか、チェックするところですね。僕も今日、初めてその具体的な存在を知りました。このご時世ですから、特に新型コロナウイルスのデマも多いですから、そのファクトチェックのリンクを張っておきます。
僕はウイルス感染と何もカンケイがないトイレットペーパーの争奪戦が起こるなんて、日本だけだと思っていました。だからこんなニュース、とても恥ずかしいし、日本人ってやだなあと思いました。でも感染が世界に拡大すると、先進国と思われていたヨーロッパやアメリカでも同じようにトイレットペーパーの買い占めが起こるんですね。
トイレットペーパーは中国の生産と何も関係ないという事実をちゃんと知れば、そんな事は起きないのに。
人は論理よりも感情に流されやすいです。というか、人は感情で動きます。こういうときこそ、感情の流れにさす事実という棹をしっかり握らないといけないなあと思います。
ではまた明日(たぶん)
まじめかーい。