そこまで詰めなくても…

何年か前の作品を眺めていると気づくことがあります。例えば花の描き方。同じデルフィニウムでもこの頃はこんなふうに描いていたんだとか、今のほうが複雑に難しくしてしまっているなあというのがあります。

もう1つ、大きな変化がありまして、それは花の間隔です。年を経るごとに花の間の空白が減っています。その方が密度が上がって華やかになるのですが、一方でゴチャゴチャするとか息が詰まる感じがするというデメリットにも繋がります。

昨日描いた絵の一部。もっと間隔をあけるつもりでいたのですが…。

自分では「もっと間隔を詰めなければいけない」という意識はないのです。でも何故か段々とそうなっていている。これはおそらく、自分の無意識下で「空白を埋めなければいけない」という強迫観念があるのではないかと思います。空間的な空白だけでなく、時間の空白についても同じです。例えば時間が空いたらボーッとするのではなく、仕事とか家事をしないと罪ではないかと恐れる気持ちもあります。

これはいけない。

もっと平然とボーッとして、花と花の空白にも「仕方ないよね」と思えるようにしないと。まあ、空白の場合は空白の美しさがないといけないので、ちょっと話が違うか。「余白の美」みたいなものを作れる技術も必要ですね。

あれもこれも必要。そうやって僕は日々追われる。だから空間でも時間でも空白を恐れ、作品では花どうしの間隔がなくなっていく。

どうすりゃいいの(笑)

ではまた明日(たぶん)