アイデアはどこから

脚本の書き方、その2。と言うか、前回の前の段階について。
前はアイデアをいかに集めるかと言うことでしたが、そもそもアイデアはどこからでるかというのが今回の話。
正直言うと、これが一番難しい。いや、どれも難しいんですが、説明の仕方が難しい。
アイデアの素地は、知識と発想にあります。いかに奇抜なアイデアも、豊富な知識(経験を含む)なしには出ないです。かといって、知識だけでは学者になってしまうので、日頃から他の人とは違う発想をしておく訓練、もしくは天性が必要です。
それは何で作るかというと、1つにはあなたが「おもしろい」と思った人、思っている学問を追究することです。おもしろい人というのは(当然ですが笑わせてくれる人ではなく)、通学・通勤など日常の中で気になる人のこと、学問とは例えば天文学、考古学、物理学など、あなたが「世界の不思議」について考える入り口になる分野です。
もちろん、映画や小説などもよいのですが、往々にしてその作風や発想の範囲でしか、あなたのアイデアも出てこなくなります。コピーバンドではなく、オリジナルの楽曲で人を感動させたいなら、むしろそう言ったものは忘れた方がよいでしょう。と言うか、そう言うものが好きならそれをそのまま舞台に持って行けばいいのです。
そして脚本のアイデアを出すために、何よりも大切なことは、演劇の力を信じることです。あなたの空想を現実の中で再現する唯一のメディアは演劇のみです。小説は文字を使って読者の頭にあなたの世界を再現すること、映画はスクリーンの中に再現すること。でも演劇だけは舞台の上という限定された空間とはいえ、まさに現実の時間と空間の中にあなたの世界を再現できます。
つまり、あなたは自分の好きなこと、こうありたい、こうあって欲しいと思ったことを現実に再現する権限を与えられたのです。であれば、最大限の能力と努力を以て、よいアイデアを抽出したいでしょ?
…次のテーマは「何を書くか」です。副題は「イイタイコトなんかくそくらえ」です。脚本はプロパガンダのためにあるのではありません。では次回。

脚本作成ブログも始めます

近所の公園でクロッカスが咲きました。
とうとう春です(私の住んでいるのは北海道なので、本州の人から見ればかなり遅い春です)。
ムラムラとやりたいことがわいてきます。いろんな話を見せたい。
そうそう、依頼されている演劇脚本もそろそろ考え始めないといけません。こちらは別途ブログを立ち上げて進行状況を逐一報告する予定です。お楽しみに。

脚本の書き方1 アイデア

15年ほど演劇の脚本を書いてきたので、知りたい方にそのノウハウをお分けしたいと思います。まずはアイデアの出し方。
何でもなれるには時間がかかるもので、アイデアを出すのも最初は苦労します。キャリアが長くても苦労しますから、最初は大変です。
Sakuraとりあえず「おもしろい」と思ったものは何でもメモをとりましょう。私は今でも上着のポケットと鞄の中、それと枕もとに必ずメモをおいています。
あなたの才能がオリジナルかどうかを決めるのはアイデア次第ですから、はじめは何でもメモします。想像力は本来無限ですから、ここで遠慮はいけません。「舞台でこんなこと不可能だろう」なんて制限を設けてはいけません。たいてい後でどうにかなるものです。またその心配をするのは、今のあなたの仕事ではありません。
またメモしながら「これは別の機会に使うべきアイデアではないか」と思うものもあると思います。しかし、そう言ったものが、後に意外と役立ちます。遠慮や制限は想像力の敵です。とにかく、ここは想像力を全てに最優先しましょう。
メモをいっぱいとったら「これはおもしろいし、小説や漫画など他の人のアイデアは入っていない」というものを集めてみます。それら同士の組み合わせで、おそらくストーリーらしき影が淡くでも見えてくるのではないでしょうか。
例えば、水滴によるレンズ効果と無機質なビル群が桜に覆われるアイデアを組み合わせれば、このような物語を作成できます。

設定地獄に入りかけて>>>移行

前回、「検索に引っかからないので、乗り換えたい」旨を書きましたが、それで乗り換えられそうなブログサイトやツールを探しています。
いろいろ見てみましたが、帯に短し…という感じで、やり始めるとかなりのカスタマイズが必要なよう。またそれぞれのサイトやツールによって、どこまでカスタマイズできるかもまちまちまたは不明。
これはやり出すと面倒なことになりそうな。私が陥りやすい「設定地獄」にはまりそうです。だいたいこのブログ自体も始める前にかなりカスタマイズしました。あまり知識がないので試行錯誤です。でもこれって、非常に生産性のない苦闘で、時間もすごく使う。だいたいWindowsを使うのをやめたのも、設定地獄にすぐはまるから。
とはいえ、このままではブログを書いてもたくさんの人に見てもらえない。どうしたらよいものか…。

追記:TYPEPADに移行しました。
金額は少しかかりますが、これまでのデータも移行でき、昨日や使い勝手もよいようです。

検索エンジンに引っかからない?

ここ数日更新しませんでした。モチベーションがすごく下がったので。
というのも、実はこのブログの単語は検索エンジンに引っかからないのではないか?という疑念が大きくなり…。
このブログはPHPを使ったblogn(ブログン)というシステムを使っています。MovableTypeなど一般的なブログとちがって動的生成です。これは聞くところによると検索エンジンに拾われにくいらしい。
困りました。いろいろ書いても、拾われないんじゃ寂しい。
暇ができたらMovableTypeに乗り換えようかな…。また苦労が…。

物語自身が媒体を選ぶ

先日、物語はいろんな形で表出できると書きましたが、やや訂正を必要とするようです。
テーブルの洋食器に盛りつけるか、和食器に盛るか、弁当箱に入れるかで素材の料理方法、盛りつけ方法が変わるように、物語も形を変えます。
媒体がちがえば制約条件もちがい、そのために物語自体も変えなければなりません。必要な結末に向けて発端や経緯を変更する必要が生じるかもしれませんし、逆に発端を生かして結末を変更する必要が生じるかもしれません。
なぜこんなことを考えたのかというと、実は今までつくった物語を別の媒体で再現しようとしたからです。…イヤ、難しい。というよりも、そうやろうとして、ここ数日とても窮屈な気持ちがしていました。やれないことはないけど、楽しくない。
そして私は、物語をある媒体にはめ込むには、物語そのものを変えなければならないことに気がつきました。

そこで思い出したのは横溝正史の「獄門島」です。原作の小説と市川崑監督の映画とでは、ストーリーも結末も(犯人でさえも!)ちがう。こんな映画にしたらさぞ原作者は怒るだろうなと思っていたら、何と横溝正史自身もこの映画にでています。つまり、ストーリーと結末の改編は原作者も同意しているというか、むしろそれに積極的に参加したことを伺えます。
さて。これはどういうことか。
横溝正史は媒体によって物語は変化すべきということを知っていたのではないか。物語はどんな媒体にでも押し込んでよいということでははない。それをやると窮屈になる。作者が楽しくない物語を、見る人が楽しめるとは思えない。
むしろ逆に、媒体ありきで、新しい物語を考える必要があるということです。
あるいは、物語ありきで進めるならば自ずと媒体は選ばれているはずだということでしょう。物語を構想した段階で、知らないうちにある程度媒体は決まっている。媒体自身が物語を選ぶということでしょうか。
とにかく、私は新しい媒体のために新しい物語を考えるか、新しい物語を考えてそれが媒体を選ぶのを待つことにします。

浦沢直樹さんの物語の構造=プルートーをつくったのはゲジヒト

浦沢直樹さんと言えば、今「PLUTO」がすごい人気です。私も月に1回しかない(時には2ヶ月待つこともある)この連載をすごーく楽しみにしています。もちろん1〜3巻まで全部持っています。
「MONSTER」も読みました。今、遅ればせながら「20世紀少年」も読んでいます。現在まだ5巻までですが。いずれも感じることですが、引き込まれるのですが、あえて誤解を恐れずに言うと、読んでいて「楽しくない」のです。
なぜだろうか考えてみました。
この3つの作品とも、すごく困ったこと(ネガティブイベント)が起こって、それをノーマルな状態に戻す物語だからではないでしょうか。MONSTERはヨハン、20世紀少年は「ともだち」、PLUTOは「プルートー」です。PLUTOはまだ3巻なのでほかの2つを中心に考えると、物語は
  主人公がきっかけでネガティブキャラクターの萌芽ができる
     ↓
  ネガティブキャラクターは主人公の知らないうちに巨大化している
     ↓
  主人公がネガティブキャラクターの存在に気づく
     ↓
  主人公は責任感と使命感を以てネガティブキャラクターの排除を試みる
     ↓
  何度かの失敗を経て排除に成功する
という構造ではないでしょうか。
さて、そう考えると、PLUTOにおけるゲジヒトの謎も解けそうです。ほかの2つの場合、ネガティブキャラクターをつくったのは、主人公本人。と言うことはプルートーをつくったのもゲジヒトではないでしょうか?