物語の新しい媒体

何とか「切って折って自分でめくれる」silent-storyをアップしました。
まだ説明もオペレーションも不足していますが、何とか形だけでもと思い。
もしよければぜひダウンロードして、お試しください。
サイトの方にはきちんとかけませんでしたが、まだまだこのタイプのsiletn-storyをつくるつもりです。

いずれも
・言葉がわからなくても話はわかる
・PCに(印刷以外は)頼らない
・どこにでも持ち運べる=好きな話といつも一緒
ということが最大の利点です。もしほかに類似のもがあったとしても、あるいはこれからあるとしても、この3つのメリットだけはオリジナルでありたいと思います。
世界には(天災・人災によらず)理不尽に家族を亡くしてしまった人、あるいは自分自身をなくしてしまった人が多すぎます。その人たちのために、何らかの形で物語が役立つことを考えれば、この形が今わたしに考え得る最大限のアプローチです。
これなら極小のコストであまねく人々に物語を提供できると思うのです。そのためのコンテンツと媒体をセットにしたメディアをつくってみたわけです。
もちろんそのためには、このようにコンテンツと媒体だけではなく、さらに流通をになう部分を誰かにお願いしなければなりません。あるいはコンテンツの中に広告欄をつくって広告料をいただき、それを以て流通のお金をつくる必要があるでしょう。
とにかく、まだまだこれからです。まずはコンテンツをさらに増やします。

短い詩, Japanese only.

実はこのサイトとは別に、短い詩のブログをつくっています。
たまあーーーーにしか更新しません。
よかったら見てください。
短詩、書きっぱなし http://short-poem.blogspot.com/

silento-storyではあまり季節感などいれられませんが、詩の方は短いだけに、しかも全く推敲しないことをモットーにしているので、つまり書きっぱなしでほったらかしで、すぐにアップで、つまり旬の季節感は入っているはず。
But sorry , Japanese only.

お金がなくても、言葉がわからなくても、ポケットに忍ばせられる物語

手で渡せる範囲の人にはすでにごらんいただいていますが、ずーーーっと前から「○○る」silent-storyということで予告していたものをようやく、アップするつもりです。
まだ1コンテンツしかないので迷っていたのですが、次とその次と、うまくいけばさらにその次まで新しいネタができそうなので、とりあえず。
ただ、どのようにホームページという媒体に掲載すればいいのかちょっとわからない部分もあるので、まあ、ひょっとしたらさらに次の週末になってしまうかもしれませんが。
でも、ぜひご期待ください!
わたしの目標は、「世界中の誰もが楽しめる物語」です。そのためには言葉からもお金からもフリーなコンテンツでなければ。インターネットを楽しめるのはパソコンを持っている人だけ。パソコンというのはお金を持っている人しか楽しめないので、本来のわたしの目標からちょっと遠い。それを解消するための、大きな一歩だと、勝手に思っています。
誰もが自分の好きな物語をポケット忍ばせているようになれば。そのためのツール、第一弾です。繰り返しますが、お楽しみに。でももう手渡しで見てしまった人は、その次に乞うご期待。

脚本作成ブログも始めます

近所の公園でクロッカスが咲きました。
とうとう春です(私の住んでいるのは北海道なので、本州の人から見ればかなり遅い春です)。
ムラムラとやりたいことがわいてきます。いろんな話を見せたい。
そうそう、依頼されている演劇脚本もそろそろ考え始めないといけません。こちらは別途ブログを立ち上げて進行状況を逐一報告する予定です。お楽しみに。

設定地獄に入りかけて>>>移行

前回、「検索に引っかからないので、乗り換えたい」旨を書きましたが、それで乗り換えられそうなブログサイトやツールを探しています。
いろいろ見てみましたが、帯に短し…という感じで、やり始めるとかなりのカスタマイズが必要なよう。またそれぞれのサイトやツールによって、どこまでカスタマイズできるかもまちまちまたは不明。
これはやり出すと面倒なことになりそうな。私が陥りやすい「設定地獄」にはまりそうです。だいたいこのブログ自体も始める前にかなりカスタマイズしました。あまり知識がないので試行錯誤です。でもこれって、非常に生産性のない苦闘で、時間もすごく使う。だいたいWindowsを使うのをやめたのも、設定地獄にすぐはまるから。
とはいえ、このままではブログを書いてもたくさんの人に見てもらえない。どうしたらよいものか…。

追記:TYPEPADに移行しました。
金額は少しかかりますが、これまでのデータも移行でき、昨日や使い勝手もよいようです。

検索エンジンに引っかからない?

ここ数日更新しませんでした。モチベーションがすごく下がったので。
というのも、実はこのブログの単語は検索エンジンに引っかからないのではないか?という疑念が大きくなり…。
このブログはPHPを使ったblogn(ブログン)というシステムを使っています。MovableTypeなど一般的なブログとちがって動的生成です。これは聞くところによると検索エンジンに拾われにくいらしい。
困りました。いろいろ書いても、拾われないんじゃ寂しい。
暇ができたらMovableTypeに乗り換えようかな…。また苦労が…。

物語自身が媒体を選ぶ

先日、物語はいろんな形で表出できると書きましたが、やや訂正を必要とするようです。
テーブルの洋食器に盛りつけるか、和食器に盛るか、弁当箱に入れるかで素材の料理方法、盛りつけ方法が変わるように、物語も形を変えます。
媒体がちがえば制約条件もちがい、そのために物語自体も変えなければなりません。必要な結末に向けて発端や経緯を変更する必要が生じるかもしれませんし、逆に発端を生かして結末を変更する必要が生じるかもしれません。
なぜこんなことを考えたのかというと、実は今までつくった物語を別の媒体で再現しようとしたからです。…イヤ、難しい。というよりも、そうやろうとして、ここ数日とても窮屈な気持ちがしていました。やれないことはないけど、楽しくない。
そして私は、物語をある媒体にはめ込むには、物語そのものを変えなければならないことに気がつきました。

そこで思い出したのは横溝正史の「獄門島」です。原作の小説と市川崑監督の映画とでは、ストーリーも結末も(犯人でさえも!)ちがう。こんな映画にしたらさぞ原作者は怒るだろうなと思っていたら、何と横溝正史自身もこの映画にでています。つまり、ストーリーと結末の改編は原作者も同意しているというか、むしろそれに積極的に参加したことを伺えます。
さて。これはどういうことか。
横溝正史は媒体によって物語は変化すべきということを知っていたのではないか。物語はどんな媒体にでも押し込んでよいということでははない。それをやると窮屈になる。作者が楽しくない物語を、見る人が楽しめるとは思えない。
むしろ逆に、媒体ありきで、新しい物語を考える必要があるということです。
あるいは、物語ありきで進めるならば自ずと媒体は選ばれているはずだということでしょう。物語を構想した段階で、知らないうちにある程度媒体は決まっている。媒体自身が物語を選ぶということでしょうか。
とにかく、私は新しい媒体のために新しい物語を考えるか、新しい物語を考えてそれが媒体を選ぶのを待つことにします。