知ろうとすること。

TPPや原発のことなど、大きなことだけどどう考えていいのかわからない問題ってたくさんあります。なんとなく先送りにして誰かが良い知恵を出してくれるのを、あるいは解決してくれるのを待っている僕ですが、もしこうした問題を喫緊に自分で判断しなければいけない事態になったらどうしたらいいでしょうか。

例えば震災後に原発が不安定な状態になって、自分の住んでいるところに影響が出そうなことになったら。

「知ろうとすること。」という本を読みました。

コピーライターの糸井重里さんが震災直後に福島の原発で起きた爆発後、いろいろな判断をする際に最も頼りにしたというツイッターを発信していた物理学者さんとの対談です。

そもそも僕も、知ろうとする気持ちはあっても、実際知ろうという行動はしていない。こういうのが一番危ないですね。

危ないというのは、正義を振りかざしたり、恐怖を煽ったりする意見に惑わされやすいからです。

早野先生によると、福島のデータでは、内部被曝の心配はほとんどないという結果が出ているのだそうです。なんでそれを僕は知らないんでしょう。

僕は心情的には原発反対ですが、だからこそ「放射能は危険だから反対すべきだ」という意見に盲目的に惑わされがちです(実は放射能=なんでも危険、というわけではない)。一方で将来の安全よりも目先の食い扶持だ、という人もいたり、あるいは鼻血がでるほど危険だという漫画原作者もいたりするので、なんだかもう自分で知ろうとしてもわかることがないような気がして、知ろうとしていないんですね。名前が「しろう」なのに(笑)。

あとがきで糸井重里さんが、より信頼できる情報を選ぶための条件を5つ挙げてくれています。どれも納得の行くものばかりですが、一番最後のが最も必要なように思いました。

「よりユーモアのある方」

どんなひどい事態でも、先への希望を持ったり、今を客観的に見る目は必要です。そんな意味でもユーモアは大事。

でもこれは5つある条件のうちの5つ目。他の4つはこれ以上に大事です。ぜひ読んでみてください。

そして本文中のこの言葉こそ、僕のことかいな、とグサッときました。戒めにしたいと思います。

糸井 福島のことを心配しているようでいて、いまも、事故直後の「福島は放射能で汚染されちゃって、たいへん」っていうままの知識でいたりする。

※11月15日、一部追記