脚本の書き方:アイデアの出し方2 文献を当たる

前回は物理的な制約からアイデアを出すことについて書きました。
次は文献をあさってみましょう。
誰かがすでに同じようなことを書いているかもしれないし、ほかの人のテキストからもっと面白いことを思いつくのは、よくあることです。「オレだったらこんな風にするのに」とかね。

今回は「怪談」について、いろいろあさろうと思いました。ちょうど夏なので、書店に行けばたくさん怪談フェアをやっています。

でもやめました。
読むと他の怪談ぽくなってしまいそうなので。前も書きましたが、あれ好きじゃないんです。リアリティがないから。怪談というファンタジーになって終わってしまうんですよね。そこから外には出ない。
だいたい怪談は読んだり聞いたりするから怖い。スターウォーズでしたか「恐怖は想像の中にのみ存在する」です。スティーブンキングでしたか? まあいいです。映画ならまだしも、舞台でおいわさんのメイクを見せられても、私は引きます。だってつくりものじゃん、てバレバレです。
耳なし芳一の耳とるとこって、舞台でどうやるんですか? いや、技術的な問題じゃなく、耳がとれたところで、小さすぎて後ろの方の観客には何やってるのかわかりません。

そう言った既存のテキスト版怪談をなぞっても脚本にはならんでしょう。
じゃあ、自分がリアリティを持って怖い、あるいは気味が悪いと思うのは何なのか。あるいは興味を持てる怪談は何でしょう。そう言うのは、自分の中のストックや思い出を探すしかないと思うのです。でもすぐに思い出せないので、時間をかけて探すことにしました。
つづく。

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演劇脚本のアイデアの出し方

演劇の脚本を書くにしろ何にしろ、まずはアイデアを積み上げるところから始まります。
今回、私がプロデューサーより依頼を受けたのは以下の条件でした。

  • 人数は多く。(可能なら十数人)
  • ホラー、あるいは怪談
  • 「裏切り」をテーマとすること
  • 設定はすすきの、もしくはその周辺
  • 上演場所は廃校の小学校の体育館
  • 締め切りは1月末

「何でもいいから書け」という場合とは違い、条件がいくつかある場合はそれを利用するのが、アイデアだしのセオリーです。そして大切なのは「内容に関するものではなく、物理的なものを利用すること」。この場合で言うと、人数、上演場所がそれにあたります。特に小学校の廃校、体育館というのは、怪談と相性が良さそうです。ありがちな発想としては、十数人のグループが夜の体育館に閉じ込められて…、というプロットが浮かびます。その他ちょっと考えればいくつか出てくることでしょう。ある意味、後から考えても大丈夫そうです。

難関は、怪談、裏切りという内容面の条件。今回は裏切りやホラーというネガティブなテーマもネックです。今私が興味あるストーリーとしてはスタティックなもの、あるいは少なくともらすとは開放的なものです。ホラーみたいにパニックになったり怖がって騒いだりするのは、その場面の台詞が陳腐になりがちなだけに、できれば書きたくない。そこでプロデューサーに「アクティブじゃなく、スタティックなものでもよいでしょうか」と伺いをたてました。それはOKをいただき、スタティックな怪談を目指すことにしました。

もう1つ問題があって、ポジティブなファンタジーはファンタジーとして成立するのですが、ホラーや怪談などの非現実的な話を、どうリアルに書けるかということです。私は幽霊を見る人がいるのは知っていますし、実際にその人はそのようなものを見たのだろうと思っています。でも私は見たことがない。また化けて出たくなるような恨みを、誰かの裏切りで得たこともない。
ある意味、裏切りとホラーは分けた方がよいかもしれませんね。
少なくともリアリティと私の書きやすさをつくるために、全部の恨みを最後にはポジティブな形に変換するストーリーが欲しい、と思いました。

書き出すときりがないですね、また後日。

次はホラーで「裏切り」?

先日の芝居の打ち上げで、プロデューサーから次回の脚本を依頼されました。ジャンルはホラーでテーマは「裏切り」だそうです。
ジャンルはよくわかりませんが、裏切りは面白そうです。
でも、今は脚本に使う時間がもったいないのでできれば避けたいところです。
返事は1週間保留にさせてもらいました。

もし書くと決めたら、アイデアをどうやって出したかなど、脚本の書き方に関わることはここで逐一報告することにします。悩んでいる人や志している人の一助になれば幸いです。

でも、まだやると決めた訳じゃないですよ。

自分の脚本が上演されるのを見るのは

先日、わたしの書いた脚本が上演され、それを見に行きました。
毎度思うのですが、正直言って安心してみられないですね。
「なんだこの台詞は」という自分へのだめ出しに加え、「え?ここちゃんと理解して読んでない!」とか使った側へのストレスも少なからず出てきます。

脚本を渡した以上、それをどう解釈するかは演出家と役者にゆだねてあるわけですから、はっきり言って舞台が面白いかどうかは脚本家のあずかり知らぬところというのがわたしのスタンスです。とはいえ、見るのは恥ずかしさやいらぬ責任感などが交錯して気が気じゃないですね。

打ち上げでも役者さんに「見てどうでしたか?」とよく聞かれました。とは言っても、イチ観客としてみていないわけです。そう申し上げると「書いた時のイメージとはちがってましたか?」と聞かれます。これは答えられます。「当然ちがっています」。むしろちがえばちがうほど嬉しい。自分のイメージの範囲内で上演されるのが、わたしとしては一番つまらない。「正直、もっと全然違う解釈で驚かせて欲しかった」というのが本当のわたしの感想です。

脚本の最後の砦は「遊び心」だ

いろいろ脚本の書き方とか書いていますが、そしてこれからもたぶん書きますが、一番いけないのは、「こういう風に書かなきゃいけないんだ」と思うこと。恐らくこのページを見ている人は「脚本 書き方」でgoogleとかで検索して、ほかの「脚本の書き方」もごらんになっていることでしょう。でもね、正直言うと「脚本の書き方」はどれもあなたに当てはまらないんです。なぜなら、あなたが書く「布団のたたみ方」は、恐らくアパートのお隣の人の書く「布団のたたみ方」と全く違うのと同様、書き方やその言い回しも変われば布団のたたみ方それ自体も微妙に違うからです。

じゃあ、いったいあなたはどうやって脚本を書けばいいのでしょうか。
いろいろ書いて、その都度自己満足と後日の後悔とから学ぶのが一番いいんです。
でもなんだかんだ言っても、一度は煮詰まります。
私だって、今でも1本脚本を書くたび、3,4度は煮詰まります。
そしてあなたがこのサイトやほかのサイトを参考に「脚本の書き方」通りに脚本を書いても、絶対に何度も煮詰まります。
そこから抜け出す方法は、ありません。開高健なんて、1つの小説を書くのに、何年も呻吟していたのですから。

じゃあ、どうしましょう。脚本を放り投げる? でもあなたの脚本を待っている人がいる。さあ、どうしよう。

ヒントは「遊び心」だと思います。
これは脚本に限らず、どんな作り物でも、特に観客や見る人を前提にした「アート」はみんなそうだと思います。
遊び心のない見せ物(アート)は、見る人も疲れます。
いわゆる「イイタイコト」が前面に出たものが得てして疲れさせたり、一通りの見方しか提供できない狭さを持つのはそのためと思います。
これまでの「脚本の書き方」からはみ出て、あなたが面白いと思うことを理屈抜きで混ぜてみてはいかがでしょうか。あるいは、それだけに忠実に脚本を書いてみてはいかがでしょうか。
絶対に面白いものになると思います。
よく言われることですが、作り手がおもしろがっていないと、見る人も面白くありません。
「こうあるべき」みたいな見せ物、「こう書くべき」として書いたものは、ゆとりがなくて、見る人はくしゃみ一つすることすらためらいます。
そんな観客、こっちが見ていても楽しくないでしょ?

10回読まない演出家・役者に脚本を渡すな

小説と脚本の最大の違いは、何でしょう。それは2つあると思います。
1つは心情描写がないこと。2つ目は読む人が舞台関係者に限られることです。

1についてはまた書く機会があるとして、今日は2つ目の方。
舞台関係者が読んで「つまらない」と言われて使われなければ、観客にもあなたの書いたことは伝わりません。
かといって一義的に面白ければそれでよいのかというとそうでもなく、あなたが苦労して書いた伏線や仕掛けなどに気づいてもらわなければなりません。でも気づくにはたいてい、1回読んだだけではわからないわけです。何度も読むうちに、読み手は「ああ、この台詞は前の別の登場人物が言ったことと関係しているんだ」とか、この行動はあそこの伏線だったのか」などと気づきます。何回読んだら気づくか?まあ、5回は必要です。
でもさらに読んで欲しい。
するとさらに新しい発見に気づきますし、ついには脚本作者でさえ気づいていなかった伏線、あるいは誤読による発見をしてくれるわけです。
この誤読というのが大事で、これによって特に演出家は作者さえ想像していないイメージを舞台に作り出すわけです。この発見と誤読を一般に「読み」というわけですが。
ここまで行って、もう新しい発見はないかなっていうのがだいたい10回。ここで初めてその脚本が「面白い」かどうか評価できます。

もしあなたが誰かに依頼されて脚本を書く場合は特に、相手が10回は読む人なのか、そうでないかはあらかじめ知っておきましょう。少なくとも依頼されたら最初にそれを聞いた方がよいです。もし10回読まないなら、「10回読んで下さい。そうでないと書きません」と言うことをおすすめします。
でないと、あなたはただ依頼者のセンスに迎合したものをつくらされる羽目になります。


脚本を書く時には必ず構成を手元に

高校生の時、わたしは山岳部にいました。そして集団行動が嫌いなわたしは、よく一人きりで山に行きました。当時尊敬していたのは植村直己さんです。
一人で山に行く時、大切なのは現在地を見失わないこと。当たり前ですね。迷っても誰も慰めてくれません。だいたい慰められても山ではどうしようもないんですが。
だから地図って大切です。だから地図はいつでも出せる場所に入れておく、これは山登りの鉄則です。

さて、これまで「脚本の書き方」で何度も書いたように、構成はとても大事です。もちろん行き当たりばったりで書くのを否定しません。わたしもはじめは行き当たりばったりで書いていました。だいたい何をどう組み合わせたら「物語」になるのかさっぱりわかりませんから。
でも何度か書いてきた人にはぜひ、構成を組み立てた上で書いて欲しいです。構成は地図のようなもので、今現在自分がどこのシーンを書いているのか、そのシーンは次のシーンへ何をバトンタッチすればよいのかがわかるからです。
なので、構成を紙に書いた上で、脚本を書いている時には必ず手元に置いておくなどする方が安心してすすめられます。構成が表示できるテキストエディターなどもよいでしょう。わたしの場合、windowsを使っていた頃はWZeditorを愛用していました。別ウィンドウで構成が表示できるんです。これに匹敵するMacのエディターがないのが残念。まあ、紙に書いて張っておけばよいのですが。

もちろん、脚本に限らずどんなものをつくるのであれ、勢いはある程度大切です。つくっているうちに、あるいは書いているうちにはじめの構想ではなく、別のすばらしいアイデアを思いついて、そちらに方向転換することもあるでしょう。それはそれでいいんです。そしてその後もう一度構成を修正すればいいんです。
構成は「守るべき法律」ではなくて、あくまで自分のイメージの地図です。イメージが変われば地図も変えていいんです。でも森の中で方向を見失わないようにするためのツールは必要なので、構成はいつも観られる場所に置いておくのがよいでしょう。