ものがたり 「め」

芽が出た。芽が出たのは座席の上だ。何の座席かというと、地下鉄の座席の上だった。始発の時間をまつ、うすぐらい車内。その長い長い座席の真ん中に、小さな小さな芽が出た。小さな小さな葉っぱが2まい、ついていた。

 発車したときには、地下鉄の中にはほとんど人がいなかった。でも時間がたつにつれて人が多くなり、座席に座る人も増えた。地下鉄の中はどんどん人が増えた。座る場所がなくなって、立つ人も増えた。ラッシュアワーになって、地下鉄の中は満員になった。
「おや、ここがあいているじゃないか」。
男の人が言った。
「だめですよ、小さな芽が出ているじゃないですか」。
女の人が言った。
「なんだこんなもの」。
男の人は芽を抜こうとした。
「なにをするんですか、やめなさい」
と女の人が男の人の腕をつかんだ。
「ええい、抜かないでも座ってしまえばいいんだ」。
男の人は芽の上に自分のおしりをのせようとした。
「いけません!」
女の人は男の人をつきとばした。
「なにをするんだ!」
「あなたがいけないんです!」
ふたりはけんかになった。まわりの人たちが止めに入った。「どうしたんですか」。
「だってここに小さな芽が」。
「こんなものどうでもいいじゃないか」。
「かわいそうじゃないですか」。
まわりの人たちもふたつに分かれて言い合いになった。
「地下鉄は人でいっぱいなんだ。草の芽なんか抜いてしまえ」。
「こんな小さな芽を抜くなんてかわいそうだ」。
「仕事の前にゆっくり座らせろ」。
「先に座っていたのは草の芽ですよ」。
地下鉄全部で言い合いになった。地下鉄が駅にとまるたびに新しい人が入ってきて、そのたびに芽の場所に座ろうとする人と、それを止めようとする人とのあいだでけんかになった。でも人々は自分の仕事に行かなければいけなかったので、自分の駅に着くと降りていった。地下鉄の中は少しずつ人が減っていった。立っている人も減り、席も空き始め、最後の駅に着く頃には誰もいなくなった。地下鉄の中は小さな芽だけになった。でもこのころには、小さな芽はほんの少しだけ大きくなっていた。そして3枚目の葉っぱが出てきていた。


 次の日の朝も、地下鉄は人がたくさん乗ってきた。そして昨日の朝と同じように、芽を抜いて座ろうとする人と、それを止めようとする人が言い合いになった。
「抜いてしまえ」。
「ダメだ」。
「どうしてこんな草に席をゆずらなければいけないんだ」。
「草だって生きているんだよ」。
そしてみんなでけんかになり、でも自分の駅に着いたら降りていった。芽は、またほんの少しだけ大きくなっていた。
 その次の日も、地下鉄の人どうしでけんかになった。そしてみんな自分の駅で降りていった。また次の日も、その次の日も、毎日言い合いになった。芽は毎日、ほんの少しずつ大きくなっていった。

「近頃、地下鉄の中で、乗客どうしのもめ事が多いのだが、どうしてだろう」。
市議会で問題になった。
「それは地下鉄の中に、草の芽が生えているからだ」。黒い背広を着た男の人が言った。
「そんなもの、さっさと抜いてしまえばいい」。別の、黒い背広を着た男の人が言った。この人はさっきの人より太っていた。
「いやいや、抜くなんてとんでもない。はさみで切ったほうがいい」。この人も黒い背広を着ていた。すごく太っていた。
「はさみで切るだって?なんてバカなことを」。この人も黒い背広を着ていた。そしてすごくやせていた。「切るならナイフを使いなさい」。
黒い背広を着た市議会議員みんなで議論になった。
「ナイフよりノコギリで切るべきだ!」
「切ってはいけない、踏みつぶすべきだ」。
「毒薬をかけて溶かしてしまうのがいい」。
「そうじゃない、ちぎればいい!」
議論は一日かけても終わらなかった。仕方がないので次の日も議論をし、それでも結論がでなかったので、さらにその次の日も議論をし、それでもずっと結論が出ず、とうとう議論は一週間続いた。最後に、黒い背広を着た人たちの中で一番年をとっていて、一番長いひげをはやした人が言った。この人は市議会の議長だった。
「バーナーで焼いてしまえばいい」。

 その日、乗客達はいつものように芽の場所をめぐって「抜くべきだ」「それはいけない」と言い合いをしていた。すでに座席の芽は10センチくらいの高さになり、葉っぱも5枚になっていた。地下鉄がある駅に止まりドアが開くと背中にガスのボンベを背負い、顔には熱をさえぎるために鉄製のマスクをした作業員が乗り込んできた。作業員は全部で10人で、みな右手に、長さ1mくらいの細長い筒を持っていた。先頭の作業員が、自分のベストについたボタンを押すとベルトのスピーカーから音声が出た。
「タダイマヨリ、サギョウヲカイシシマス。キケンナノデチュウイシテクダサイ」。
そして10人の作業員達はいっせいに右手に持った長い筒を、小さな草の芽に向けた。次の瞬間、ゴォーという音とともに真っ赤な炎がその先から吹き出した。火炎放射器だった。乗客はわっと飛び退いた。座席の上の芽に10の炎が迫る。まさに、草の葉に炎がふれようとしたその時だった。
ザー!
上から激しく水が降ってきた。
「雨だ!」
乗客の一人が叫ぶ。別の一人が言う。
「雨なものか、ここは地下だぞ!」。
「じゃあこれはなんだ?」。
「スプリンクラーだ!」。
「火炎放射器の熱に、火災報知器が反応したんだ!」。
まさに土砂降りのようにスプリンクラーから水が出ていた。火炎放射器はどれも水にぬれ、プス、プスと音を立てたかと思うとそれきり動かなくなり、炎は消えてしまった。作業員たちの服も水びたしになった。「ゼンイン、タイキャク!」。ベルトのスピーカーからそんな音声が出て、次の駅に地下鉄が着くやいなや、作業員たちは降りていなくなってしまった。
 おこったのは乗客たちだ。みな服がずぶぬれになってしまい、会社や学校に行けなくなってしまった。「どうしたらいいんだろう?」。
「どうして私たちがこんな目に遭うのでしょう?」。
「だれがわるいんだろう?」。
「火炎放射器を持った作業員が悪い」。
「じゃあ彼らに文句を言おう」。
「ちがう、彼らをここによこした奴らに文句を言うべきだ」。
「それはだれだ?」。
「市議会員たちだ!」。
 乗客たちは次にとまった駅で地下鉄を降り、濡れたまま市議会の議事堂に押し寄せた。そして落ちている板や棒を拾ってプラカードを作り、「クリーニング代をかえせ!」とか「火炎放射器反対!」「市議会はすぐにぬれた服をかわかせ!」といったことをペンキで書いて市議会の前で騒いだ。かれらはそのあと日が暮れるまで騒いでいたらしいが、そのあいだに地下鉄の中ではさらに大変なことが始まっていた。

 すっかり水びたしになった車内。床がぬれている。窓もぬれている。ぶら下がったつり革からも、しずくがポチャ、ポチャ、としたたり落ちている。とうぜん座席もぬれている。10センチほどの芽はたっぷりと水をもらって、いきいきとしている。そしてグン、グンと大きくなる。葉っぱがどんどん出てくる。それだけではない。ほかの座席からも新しい芽が出てくる。はじめは小さな小さな緑色の葉っぱが1まい。やがて2枚。そして背がのび、葉がふえていく。そんな芽が地下鉄の中で1つではない。2つ、3つと芽を出し、見る間にその数は5つになり、10になり、気がつけば車内中に無数に生えていた。

「では緊急特別予算として、地下鉄のスプリンクラーで水びたしになった乗客たちのクリーニング代の支払いを可決します」。
黒い背広を着て、いちばん長いひげを生やした市議会議長はそう言ったあと、安心してほうっとため息をついた。何しろ地下鉄でぬれた市民たちのクリーニング代を支払うべきか支払わないべきかという、支払うとしたらその予算はいくらなのかといった議論が1週間続いて、その間ほとんど眠れなかったからだ。そしてなによりつらかったのは、火炎放射器を使ったのが自分のせいだと責められたことだ。
「たしかに私はバーナーで焼くのがいいと言いました。でも、火炎放射器なんて言っていませんよ」。
議長はそう言い訳をした。そうしないと、自分がクリーニング代を払わされることになるからだった。だからいっしょうけんめい、責任は自分ではなく作業員たちと、彼らに命令を下した市議会議員全員にあるという結論になるように、みなを説得した。そうして1週間かかってようやく責任者は議長ではなく市ぜんたいだから、クリーニング代も市のお金からだすという議決にこぎ着けたのだった。
 議場を出て廊下を歩きながら、議長は窓の外で乗客たちがよろこんで万歳をしている声を聞いた。無事にクリーニ
ング代が出ることになったからだった。議長はそれが聞こえないように耳を手で覆い、そして議長控え室に入った。ここに入ればもう万歳の声は聞こえなかった。議長はもう一度ほっとした。そして心の重荷がとれたので、自分の好きなものを飲んでお祝いをしようと思った。議長は秘書を呼んだ。
「お呼びでしょうか、議長どの」。
「わしはいまようやく安堵した。おいわいに、好きなものを飲みたい」。
「お酒ですか?」
「ちがう、わしの好きなものと言ったら、牛乳だ」。
「かしこまりました。すぐに牛乳をコップに1杯持ってきます」。
「そうしてくれたまえ」。
でも秘書はそこに立ったままだった。
「どうしたんだ、はやく牛乳を取りにいきたまえ」。
「はい。でもその前に1つご報告を」。
「なんだ」。
「地下鉄の中で、芽がいっぱい出ています。たくさん生えて、地下鉄の中は草の芽だらけです」。
そう言って、秘書は出て行った。議長はひとり、眉間にしわを寄せ、苦々しい気持ちで椅子に座っていた。さっきまでの安堵はすっかり消え去った。なにしろまた心配事がふえたからだ。1本だけだった草の芽がたくさんに増えている、1本でもたいへんなのに、いったいどうしたらよいのか?
 議長が頭を抱えて座っていると、秘書が牛乳の入ったコップを持って入ってきた。
「牛乳です、議長どの」。
「ああ、もう牛乳を飲みたい気分ではなくなった」。
「ではお下げしますか、議長どの」。
「ああ、そうしてくれ…。いや、ちょっと待ってくれ」。
議長は何かを思いついたらしく、にやりと笑った。長いひげが少し上を向いたように見えた。
「やっぱりこの牛乳はおいていてくれ。飲みたい気分になった」。
秘書は牛乳の入ったコップを置いて、ドアから出て行った。議長は窓の外を見て、一人で笑っていた。仕事の問題も解決して、自分にもいいことがある。牛乳はなんて素晴らしい飲み物だろう。だから牛乳は大好きだ。

 朝のラッシュアワーだというのに、その車両には乗客が入るすき間はなかった。座席の上にも、床の上にも草が生えていたからだ。手すりにもツルが絡まり、つり革にもあみだなにものびてぶら下がっていた。「まるで野原だ」。と誰かが言った。車内がいちめん緑色だったからだ。そしてその地下鉄には、草を踏みつぶさないかぎり誰も入ることができない。でも、もし入ったとしても座席は草だらけで座れないし、吊革にもつかまることができないので、すぐに出て行ったしまったことだろう。だから誰も中には入らなかった。
 誰もいない車内に、アナウンスの声が響き渡る。「さきほど市議会において地下鉄放牧条例が可決されました。この条例に基づき、当地下鉄内では草の除去作業が行われます」。
 ドアが開き、遠くから「モォーモォー」という鳴き声が聞こえてきた。やがて、1頭、2頭と姿を現したのは、白と黒のまだら模様のホルスタイン種のウシだった。3頭のウシが牛飼いのおじいさんに連れられて車両の中にやってきた。そしてさっそく草を食べ始めた。床の上の草をおいしそうにモグモグと口に入れ、座席の上の新芽に舌をのばした。さすがに網棚やつり革にからまったものまでは口が届かなかったが、お昼過ぎまでおいしそうに草を食べた。そしてそのあと3時までぐっすりと昼寝をして、また草を食べ、消化した草をフンにしておしりから出し、やがて牛飼いのおじいさんに連れられて自分たちの家まで帰っていった。
 翌朝もまたウシたちはやってきた。でも草を食べる前に牛乳をしぼった。それから地下鉄に入って、昨日残した草を食べ、お昼寝をし、また草を食べ、おしりから消化したフンを出し、また牛舎に戻った。
「ほらほら、思った通りだ」と長いひげの議長が言った。
 その翌朝もまたウシたちはやってきた。そして草を食べる前に牛乳をしぼった。それから地下鉄に入って、昨日残した草を食べ、お昼寝をし、また草を食べ、おしりから消化したフンを出し、また牛舎に戻った。
「どれどれ、新鮮な牛乳はおいしいことだろう」。そういって議長は絞りたての牛乳をコップに1杯入れて飲んだ。
「おいしい!素晴らしくおいしい。草は減るし、おいしい牛乳が飲めるし、こんなに素晴らしいことはない」。議長はそう言った。そして次にはこんなことを思った。「こんなおいしい牛乳を私だけが飲むなんてもったいない」。
 その次の日もウシたちは地下鉄に出かけ、草を食べ、昼寝をし、また草を食べ、消化したものを出して牛舎に戻った。そして作業員が牛乳をしぼった。
 次の日から、パックに詰められた牛乳が、コンビニエンスストアに並んだ。「ちかてつ牛乳」という名前で、マークは地下鉄の切符の絵だった。
 「ちかてつ牛乳」はおいしいと言うことで評判になった。どんどん牛乳が売れ、おいしいという評判を聞いて別の街からも牛乳を買いに来る人がやってきた。議長もたくさん新鮮な牛乳を飲んだ。おいしかった。別の街から買いに来た人たちもくちぐちに「おいしい」と言った。しかし、いっこうに草はなくならなかった。だからその地下鉄にはいつまでたっても人が乗れなかった。だから議長のところには、抗議の手紙がたくさん送られてきた。
「あなたは本気で草をなくそうと思っているのですか?」。「はやく地下鉄に乗れるようにしてください」。
中には議長を疑っている人もいた。「本当は牛乳を作りたいから草を残しているのではないですか?」。「牛乳の売り上げは、議長のお金儲けになっているのではないですか?」。
 議長は困った。だって本当に草を退治したいと思っていたからだ。たしかに牛乳は毎日コップに10杯は飲みたいくらいおいしかったが、議長としては草を退治するのが仕事だった。しかし、こんなにウシが食べているのに、どうして草は減らないんだろうか。ウシはちゃんと草を食べておらんのではないだろうか。もっとウシががんばって草を食べるように言わなければいかん。
 翌日、またウシが地下鉄にやってきたとき、議長は牛飼いのおじいさんに言った。
「もっとたくさん草を食べさせなさい」。
「ウシたちはいっしょうけんめい食べておるよ」。
「じゃあどうしていつまでたっても草はなくならんのだ」。
「だって、食べるはしから新しい草がのびるからの」。
「何でのびるんだ」。
「何でって、こんなに肥料があればのびるわの」。
「肥料をやっているやつがいるのか?」
「ウシのフンは、草のいい肥料になるんじゃよ。どんな肥料よりもウシのフンが一番じゃ」。
議長は言葉を失った。

ものがたり 「め」」への3件のフィードバック

  1. 先ほど雰囲気を出そうと、物語の文章を、縦書き原稿用紙に流し込み印刷しました。なんと80ページにもなりました。休み中にコーヒーを飲みながら読ませていただきますね。

  2. 素敵な話です。
    さて、BGMは何にしようかな…

  3. >さて、BGMは何にしようかな…
    たかさま。気に入っていただいて本当にうれしいです。
    もし本当にBGMなんかついたら最高です。どなたか映像にしてくれる人、挿絵をつけてくれる人もいたらきっと音楽もさらにいきいきしてくるのではないでしょうか。私の画力ではイメージにできないので、なんとかストーリーだけ提供いたします。

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