日常とSF

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スケッチだの空を見たりだのしていると、大事なのは日常そのものであり、日常こそがすべてである、と言う感覚になる。それはそれで間違ってはいないと思うし、それだけで完全に充足できるならそれでもう何も言うことはない。実際、そうしたい。

ところが面白いファンタジーに出会うと、日常という天空に穴があいて、新しい宇宙、それもすでに知っていたはずの日常を新しい価値観でとらえ直す宇宙をかいま見せられる。

今読んでいるテッド・チャンなどはまさにそう言うストーリーを書く人だ。今まで知らなかった天空の穴を提示したり、あるいはわざわざ穴そのものをあけたりするのがSF作家の仕事なのだろう。こういうのに出会うと、やたらと創作意欲をかき立てられる。

でも本当は日々の仕事と雑事で追われている中で、さらに新しい世界を作るのは少しおっくうなのだが、それでも自分だけが発見した万華鏡を、ほかの人にも見てもらいたい欲望は捨てられないでいる。

上の絵は、新しい話のための素描。

いつも思うのだが、私が生まれる前から前に宇宙があり、日本ができる前から前に宇宙があり、人類が二足歩行する前から宇宙があり、生物が生まれる前から宇宙があり、地球ができる前から宇宙があり、太陽ができる前から、そして太陽の元となる星雲を作った星ができる前から宇宙があるという事実は、事実としてすべての人が認識するだけでも世界はもっと住みやすくなると思うのだが、どうだろうか。