テラスで読む大和朝廷の謎

小学生高学年の時期,古墳に基地をつくったり友達と古墳巡りをしていた私にとって(キノッピとミヤゲは今頃何をしているのだろう)、今でも日本の古代史は宇宙と並んで興味の中心である。共通するのは「なんで今こうなってんねん」という疑問。あと、古墳というのはその優美な曲線とか堀の静けさとかでもけっこう引きつけられる。
で,図書館で「テラスで読む大和朝廷の謎」(武光誠)をかりてきた。テラスで読めるほど気軽ではない。それにしてもあんなでかい古墳を造る発想がどこから来たのか謎。よく「大陸からの使者に勢力を誇示するために」とかいうけど、ほんなら河内古墳群はなんやねん。それに大和に近くなるほどでかいのん,造らなおかしいやろ。それにあんな形にする必要はないし、だいたい途中の小さい過程がなくていきなりでかいもん。おかしいやろ。3世紀とか4世紀はじめとされている桜井の箸墓でも100m以上はあったはず(初期の古墳は形で洗練されてなくてよろしい)。桜井は箸墓,景行天皇陵,崇神天皇陵とかいろいろ初期のが多くておもしろい。でも崇神天皇はどこまで実在なんやろうか。
あと、なんで古墳の位置と系図に関連性がないねん。向きもバラバラやし。
そんなこんなで、いろいろ謎はつきへんね。ちなみに実家から一番近い天皇陵は履中陵(百舌鳥耳原南陵)。一番洗練された形で見た目もセクシーなのはニサンザイ古墳。ここの堀はとても穏やかで色も素晴らしいエメラルドグリーン(の藻)。反正天皇陵よりもニサンザイ古墳の方がでかい。ここより野性的な分,なじみやすいのが御廟山古墳。小料理屋のバイトのお姉さんという感じ。おもしろい形はイタスケ古墳で大きさもちょっと小さい。でも宅地開発されそうになったのを近隣住民の反対で中止になったという曰く付き。近所の気のいいお姉さんというところか。ちなみに我々のホームグラウンドは文殊塚古墳という履中陵の陪塚で、そこの松の木に登ると履中陵が見下ろせた。ここは堀もないし、女子というより男子な風情だった。
まあどれが誰の天皇の陵かというのは江戸時代の人が推測でつけたのを宮内庁が踏襲しているらしくて,正確なところはわからんらしい。
Img389

これはゆずポン酢。