100年の難問、100日のストーリー

この「100年の難問はなぜ解けたのか」という本は、ポアンカレ予想を解いたペレルマン博士や数学者のエピソード番組のメイキングである。数学は苦手だったが、ポアンカレ予想とか、フェルマーの最終定理とか、数学の本は私は好きだ。物語を作ることは、ある意味、数学の難問を解くことと似ている。

  • 自分で物語を作る=自分で研究すべき問題を選ぶ
  • 設定を自分でつくる=解決方法の入り口を自分で考える
  • 結末ができるかどうかわからない=解けるかどうかわからない
  • 新しいシーンを思いつくとわくわくする=新しいヒントが思い浮かぶとわくわくする
  • 思うような展開に持っていけないとイライラする=思うように解決できないとイライラする

違うのは、物語の場合、設定も解決方法も、続けるかどうかも全部自分次第という点だ。私も小さな話1つつくるにあたっても、できそうでできなくて放置したままのアイデアがいくつかある。
物語なら「しょうがない、いつかいつか使えるかもしれないからとっておこう」と自分を慰めることができるが、数学だったら名誉とか自尊心とかあるから、そうはいかないのだろう。

 話を作るアイデアは、断片的なまま何週間か寝かせることもある。場合によってはそのままアイデア倉庫にお蔵入りになってしまうこともある。でも何度も思い返して、新しいヒントで結末まで導くことができれば、また悩んだ日数に見合うほどの素晴らしいヒントに出会えれば、とてもうれしい。例えば、「On footprint」はそんな話だった。
 しかし100日程度でこんなにうれしいのだから、一日のすべてを思索につぎ込み、それを何百日、何十年も一つの問題に取り組む数学者が素晴らしいヒントを得た時の喜びは、かなり相当なものだろう。そしてまたそのヒントが結論への入り口でなかった時の落胆もまた、想像にあまりある。大変な仕事だ。