構成で考える:なぜスターウォーズ「ジェダイの逆襲」はイマイチなのか

私はスターウォーズシリーズは大好きだが、かなり脚本的にはアラが目立つシリーズでもある。
(それを超えてファンなのだから、いかにスターウォーズには脚本以外の魅力が多いかということでもある)
先の「ボーン・アルティメイタム」と同様に構成を整理すると、これは2場構成。

  1. ジャバ・ザ・ハットの館
  2. 森の衛星(名前忘れた)

だが2は実質的に開戦前後で分けられるので、

  1. ジャバ・ザ・ハットの館
  2. 森の衛星・開戦前
  3. 同・開戦後

の3場構成になる。
主人公の一人はルーク・スカイウォーカーで、またハン・ソロやレイア姫も主人公の1人に数えられるが、この物語の軸をつくるのはほかに敵方の皇帝と、ダース・ベイダーもあげられる。それぞれの軸はこういう目的を持つ。

  • ルーク:帝国の打倒。父の改心
  • ハン:帝国の打倒。レイアへの愛
  • レイア:帝国の打倒。ハンへの愛
  • 皇帝:民主化勢力の壊滅。ルークを暗黒側に取り込む
  • ダース・ベイダー:息子への愛情。帝国維持への葛藤

問題は敵方の2名が、1場に全く関係のないこと。
仮に1場を本筋が始まる前のプロローグととらえると考えるにしても、占有時間が長すぎる。当たり前だが、物語を構成するに当たって、本筋と外れた部分に関しては、時間は短くするべきなのである。
どうしてもこれだけの時間が必要なら、1の間に(関係なくてもよいから)皇帝とベイダーとの葛藤や、ベイダーの息子への思いを挿入する必要がある。後者が可能なら、ルークのピンチの時などに挟むとよい。少なくとも観客は勝手に関連を想像してくれる。

映画評論家であれば、きっと「スターウォーズの脚本はいい加減だ」というと思う。実際、構成的にはこのような大きな部分でさえ失点が多い。でも小さな伏線もほとんど無駄にしないし、ストーリーを超えて引きつける魅力がある。ストーリーの構成など考えなくても、CG、カットの絶妙さ(映画は演劇よりも遙かに自由度が大きい)、役者の魅力(?)など、観客に喜ばれる方法を監督が知っていれば、映画は成功するのだ。
ある意味、演劇だってラストの大がかりなスペクトラムだけで観客を納得させることもある。脚本家は偉大な演出家の前には無力。スターウォーズはそのことを教えてくれる。