つかみは最初の3分。業界関係者は無視

芝居に限らず、映画や本を「おもしろい」とか「おもしろくない」とか言うときは、実は作品そのものの出来よりも、見た人(読んだ人)が今日常生活で抱えている問題やよく考えさせられていることに影響されます。わかりやすい例で言うと、日頃「今時の若者はなっとらん」と考えている人は不良少年が更生して立派な社会事業を営むようになる物語に感動しやすいですが、日頃自然保護について敏感な人に対しては訴求力が弱く、そういった人を「若者の更正物語」に引き込むには力と時間が必要です。それは日頃のその人が抱えているテーマだけでなく、劇場へ来るまでに起こったアクシデントや些細な風向きによっても左右されます。(同じ本や映画を、年月がたってから見直してみると意外におもしろかったりするのは、そのときの自分の文脈が異なるからと考えてもよいでしょう)
そうはいっても、こちらとしては見せた出し物に「おもしろい」と思ってもらわなければなりません。難しく言うと、観客個人の文脈をいかに素早く断ち切って物語の文脈に沿わせるか、ということが重要になります。
落語ではたぶんそのために「まくら」があるのではないかと思います。漫才なら「つかみ」ですね。
もちろん脚本でも笑いの要素を入れてもよいし、アングラ劇団(?)のように歌から入るのも1つの方法でしょう。ダンスから、なんて言うのもよく見かけます。イヤ、最近はないのかな。あるいは演劇として正しく、その物語世界を象徴するようなイメージ的なシーンから入ってもよいと思います。もちろん見せるだけでなく、そこで観客の文脈を一気にこちらの意図する流れにそろえるだけの力がないといけません。衝撃的な一言、印象的な動き、大音量、あるいは人が出てこなくても舞台だけはすごく美しい、でもよいと思います。
そういった意味では実は会場時間中、つまり物語が始まる前に何かを仕掛けておくのも有効です。ただこの場合は、最低30分間の作業が必要なので、あまり緊張感を伴うことは出来ないかもしれませんが。

その意味ではやっかいなのは演劇関係者です。というのは、彼らの抱える文脈は演劇における問題に他ならないので、舞台で何が起こっても、彼らは自分の抱える文脈を忘れることがありません。だから彼らの言う「おもしろい」「おもしろくない」は自分の演劇観と照らし合わせて、その理想に近いかどうかと言うだけです。そしてもっとも自分の演劇観の理想に近い作品は自分のつくった舞台ですから、聞くだけ無意味です。いや、あなたが演劇界で何らかのステイタスを築きたいなら別ですが。