書くべきか書かぬべきか、それが問題だ−2

依頼されている脚本について、まだ書くかどうしようか迷っています。
プロデューサーに先日メールして、以下のことを確認しました。

  1. 人数は多く
  2. すすきの、もしくはすすきの近辺を舞台に
  3. アクティブでなく、スタティックでもよい

なぜこんなことを確認したのかというと、これまでこのプロジェクトに関する過去の2作を書かせてもらって、楽しくないと感じたからです。それはつまり次を書いても出来が悪く、観客に出すのが恥ずかしいものになりそうだということです。
誤解のないように言うと、このプロジェクトが楽しくないのではなく、要求される制約が自分の書きたい方向ではないことが問題なのです。

上記の3を確認できたのは大きいです。これで少し自分らしい感じが出そうです。でも1と2がやや難関。書くなら3人程度の芝居が一番好きです。話がシンプルだからです。大勢が出てきてばたばたするなら、脚本よりもたたき台だけあったほうが演劇としてはつくりやすい気がします。また正直言うと、私はすすきのにはほとんど飲みにいかない。
要するに、私はお祭りは興味ないんです。あくまで日常の中の出来事が好きです。そういう形で1と2をクリアできるプランを思いついたら、書くことになると思います。でも今の時点ではまだクリアは無理です。

今あるアイデアは、既存の有名な脚本をたたき台にして、それを前半のストーリーにすることです。この投稿のタイトルが「書くべきか書かぬべきか」であることを見れば、ほぼお分かりだと思います。亡霊が出て、裏切りもあります。これを軸に男女の愛憎を絡めて後半をつくるつもりですが、そこはまだ何も思いついていません。
何よりこのアイデアはややアクティブで、かつ自分にとってリアリティのない話です。こんな脚本が一番つまらないんです。

もう少し考えます。

でも、ピアノと踊りのたたき台や、自分のsilent-storyも考えたいんです。特に後者は今いいアイデアが2つもあって、早く形にしたい。
正直言ってほかの人の脚本を書いている場合じゃないんですが。でも書こうかと迷うのは、札幌の演劇に対してまだ関わりを持ちたい(影響力を持ちたい?)こと、仕事と日常以外のカウンターを持ちたいという下心があるからです。
この下心を断つのは要するに、ほかの人が2次会に行こうと言うのを断る勇気と同じです。でも今までは思い切って断った方がいい結果でした。

仕事で出席したあるパーティを早めに退席しました。後日、その後パーティは2派に分かれて紛糾したと聞きました。もし居続けたら、巻き込まれていずれかの派閥と見なされ、仕事に支障を来すところでした。

先日のツアーも宴会の参加を見送ったら、料理もまずく交流もなかったと聞きました。8000円も出して参加しないでよかったと思います。

思い出します。小学4年生だったでしょうか、夜に近所の子供たちと花火をしたあと高学年の子供が「今から泉北行こう」といってほかの子供たちと走り始めました。私は泉北がここから歩いていける距離にないことや高学年の子が泉北と全く異なる方向に向かっているのはわかっていたにもかかわらず、ほかの子供と一緒についていきました。要はもし自分が行かないでいて、後でほかの子が「面白かったぞ」というのを聞きたくないだけなんです。結局ほどなく皆家に帰りましたが、私には変なむなしさが残りました。お母ちゃんには「アホか、泉北なんか行ける分けないやろ」と言われました。そりゃそうや。でもなんかな、行かな損かな思て。

これです。「損するかな」。

損かな、と思って行動したらよけいに損をします。昨日は仕事で行ったところのランチが1300円だったのでケチってパンを買ったら、すごく固くて差し歯が外れました。

私は人生の「演劇2次会」を断るべきだとわかっています。でもこれは2次会ではなく、新たなチャレンジの始まりになるのでしょうか。そう思えたら書きたい。今はそう思えるポイントを探しています。

書くべきか書かぬべきか、それが問題だ−2」への2件のフィードバック

  1. なるほど。
    「そっちの方向」に行く意味を探してるんですね。
    行ってみて、得るものは必ずあるとは誰でも思うけど、
    今はその次の段階なんだ。
    糧になる時間ばかりじゃない、ということを
    経験値と知ってるから迷ってるんだろな。
    いい結論が出せるといいですね。

  2. 前回の脚本は「もうこれで脚本はやめる!」と思いながら書いていました。得るものがなかったんですね。

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