花は物語の媒体に

贈り物には切り花が使われます。カードを添えてメッセージを託す媒体にもなります。でも鉢花の方が媒体には適していると思います。しかもできれば、花がはじめからついているものではなく、小さな芽をプレゼントにできないのでしょうか。
徐々に大きくなり、形が変化し、成長し、花という結末に至る。その時間そのものにメッセージを託すことはできないのでしょうか。「今、あなたのことをこう思っている」という結末だけではなく、どうしてそう思うようになったか、その結果今私はあなたのことをこんな風に大事に思っている、という物語こそ伝えられるべきではないかと考えます。
そして、その物語をもっと多くの人どうしが気軽に贈答できるようになれば。

もっと言葉にできるようになったら詳しく書きたいですが、物語は見知らぬ人どうしの気持ちをつなげることができるのではないかと考えています。それは国境や言葉の違いも超えることができるはず。そのためには、物語は言葉で媒介するものであってはならないと考えます。そして顔も見ない相手のことを想像できる媒体になり、最終的には物語によって戦争がなくなれば。…そんなことも思います。
すべての荒れ地に花を。すべての戦地に花を。すべての心に花を、物語を。

花は物語の媒体に」への3件のフィードバック

  1. Meridia.

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