情報に価値なし、編集にこそ価値があることを見抜いた女

会社の中で、同じエピソードを何度も語る人がいます。自分に今日起こったアクシデントを顔を合わせた人皆に、同じことをしゃべるのです。しかも自分から。何も性格の悪い人ではないのですが、なぜそう言うことをするのかよくわからないでいました。
ところでここ数日、カーテレビ付きの車に同乗しています。私はテレビを見ないのですが、久々に見るテレビはちょうどワイドショーの時間だったこともあり、昨日新聞に載っていた同じ情報を司会、レポーター、VTRのナレーションなどいろんな形で語っていることに気づきました。
これはワイドショーだけというのではなく、おそらく夕方のニュース、夜のニュース、朝のニュース、週末の情報番組など、様々な形で同じように同じ情報を微妙に再編集をかけながら語っているのでしょう。情報は新しいこと、役に立つことだけが商品になるのではなく、再編集されたもの、再々編集されたもの、再々再々再々編集されたものも商品になるということなのでしょう。よく考えれば最初に流された情報自体が、事実そのものではなくて、人に伝えるために編集されたものですから、情報それ自体には価値がなく、編集が価値を生むのかもしれません。
最初にふれた「同じことをしゃべる人」ですが、よく聞いているとしゃべる相手によって語り口調や、登場人物の言うセリフ回しなどが微妙に(計算されていないかもしれませんが)変化しています。これも立派な編集。つまり彼女は編集こそが価値を生むと言うことを知っていたのかもしれません。
しかし近くにいてそれを何度も聞かされる側としては、もう少し大胆な編集を求めたくなります。あるいは、全く情報を出さないで(黙って仕事をして)いただきたい。