不思議の国のアリスは草原でうとうとと昼寝をするところから話が始まります。さて問題。アリスはどうして寝てしまったのでしょうか。
1.昨日のみすぎた
2.食後に寝て牛になろうとした
3.眠くなる木があった
答えはケムリの向こうに。
教会の秘密のビールに共通するレシピ
ケムリといっても蒸気です。いくつも並んだ加湿器のような機械から湯気が出ていて、それぞれ別の匂いがします。こちらは少し甘い感じ、あちらはさわやかな香り…。そこへ大人や子供が集まり、気に入った香りのする水を集めては小さな容器に入れ、自分オリジナルの香水をつくります。そのアドバイスをしている現場監督風のおじさんが、脇田陽一さん。北海道立総合研究機構 林業試験場の研究者です。
「これはハマナスとかエゾヤマザクラとかの花や葉っぱからつくった蒸留水です。いちばん人気なのがヤチヤナギですね」
ヤナギ?
「名前はそうだけどヤナギじゃないんです。ヤマモモ科の植物で、湿地に生える低木です。道内にも自生していますよ。アイヌの人たちの間ではこれが生えている草原を歩いていると眠くなると言われていたらしいです。不思議の国のアリスが眠ったのも、まわりにヤチヤナギが生えていたからと言われていて、リラックス効果があるんです。ヨーロッパのグルートビールにも、グルートビールというのは…」
脇田さんは早口です。
「グルートビールというのは教会でつくられていたビールで、いろいろなハーブが入っているんですが、それぞれの教会でちがうんです。でも共通に入っているのがヤチヤナギです。スコッチウイスキーの香りは樽の香りとも言われていますが、どうやらそれではなく、水にあるらしいです。枯れた植物が堆積したモール層を地下水が通るんですが、モール層にあるのがヤチヤナギです」
なんとお酒にも関係しているんですね。
「ハーブとしてジビエにも合い、ロブションが最後の決め手として入れるのがスイートゲイル、ヤチヤナギの英名です」
いいことづくめじゃないですか。どんどん利用すればいいですね。
「ところがそうは行かないです。なにしろ数が少ない。あまり生育旺盛なタイプではないらしく、日本では道内以外では愛知、三重、尾瀬、東北などにしかない。雌雄異株なんですが、本州の自生地には雄木しかないんです」
じゃあ、これ以上増えないということですか?
「そうです。ヨーロッパでも数が少なくなっていて、ドイツでは完全に保護植物です。そもそも低地の高層湿原にしか自生していないんです」
標高の低い高層湿原? 矛盾してますね。
「そう。だから場所がすごく限られている。道内ではサロベツ湿原とか苫東の低地帯などですね」
挿し木はダメなんですか?
「自然再生目的じゃないと、植えたりできない決まりになっているんです」
じゃあこれ以上増やせない?
「組織培養、つまりバイオテクノロジーならOKです」
兄弟で手をつないでハクサンコザクラを
いい忘れましたが、脇田さんはバイオテクノロジーの専門家です。
「本当はバイオテクノロジーなんて好きじゃなかったんですけどね。盆栽も針金で枝をたわめたりするのは好きになれないです」
つまり人がいろいろ手をかけるのではなく、植物本来のすがたがいいという考えですね?
「そうです。もともと子供の頃から野草が好きで…」
ずいぶん変わった少年ですね。
「愛知県で育ったんですが、親父が病気になった時に、おふくろが今でいう園芸療法みたいなことをさせようとしたんですね。それで僕と兄貴に山で花を取って来いと。以来、兄弟ですっかり植物にはまってしまいまして。僕が小2で兄貴が小4の頃でしたか、手をつないで山野草屋さんにハクサンコザクラを買いに行ったりもしました。でも男が花好きだなんて、恥ずかしくて大学に入るまで友達には言えませんでしたよ。いま兄貴はサラリーマンですが、1鉢30万もするようなエビネを買ってきて自慢したりしてます。僕は研究者になったんですが、さっきも言ったようにバイオテクノロジーなんて嫌いだったんです。でも文句ばっかり言ってもダメだなあと、遺伝子導入などを学びました。その技術でイネやサツマイモの研究もしていたんですが、徐々に樹木に応用したらいろいろな可能性がありそうだなと考えるようになりました」
じゃあ最初から樹木の研究をしていたわけではないんですね?
「そうなんです。そのころ北海道で遺伝子導入等の最新のバイオテクノロジーを使える研究者を探していると聞いて、林業試験場にやってきたんです」
ジンジャエールの元はネイティブ・アメリカンの松葉サイダー
話を元に戻して、ヤチヤナギについて。
「リラックス効果があるのはわかっているのですが、これを科学的に数値で説明するのが今の課題です。特に睡眠はその日の体調や精神状態によって眠りは大きく左右されるからです。今はヤチヤナギによる効果を測定しているところです」
では実用化されるめどは?
「商品としては実はすでに2つの会社と共同研究をして、販売されています。1つは化粧品。レクシアという会社から発売されています。もう1つはチーズです。新得町の共働学舎で販売しているもので3種類あるのですが、このうち【熟成タイプ】が第20回北海道加工食品コンクールで知事賞を獲得しました。どちらもヤチヤナギにしかないリラックス効果や香りを生かした商品です」
組織培養で増やせるからこそ商品化にも対応しやすいんですね。
「でも組織培養の利点は同じ個体をたくさんつくることだけじゃないんです。例えば地域には古い銘木などがあって親しまれていますが、老いて弱っていることもあります。タネでの子孫は残せないし、挿し木にしても勢いがなくてダメな場合もありますが、組織培養なら可能です。もう1つ、あまり注目されていませんが、組織培養は無菌で育てているということもあります。だから病院などで植物を利用する方法もいま考えているところです。たとえば入院中の子どもたちが鑑賞するとか…」
ところでさきほどのヤチヤナギは道内にも自生しているということでしたが、ほかに道内産の樹木を使った研究はありますか?
「ソメイヨシノやサトザクラは実がならないですが、エゾヤマザクラは実がなりますよね。これに付いている酵母が…あ、そうだジンジャーエールってもともとアラスカのネイティブ・アメリカンがマツの葉についた酵母から作ったものなんです。酵母が糖を水と二酸化炭素、つまり炭酸に分解するのですが、その炭酸水に生姜を加えた飲み物を作っていたんです。それを見たカナダの飲料会社がジンジャー風味を減らして砂糖を入れて飲みやすくしたのがカナダドライ。ちなみに日本にも松葉サイダーというのはあって、今でも京都と大阪で少量ながらつくられています。京都の方は旅館のおばあちゃんの手づくりらしいです。松葉サイダーを作っているネイティブ・アメリカンはアラスカの南東部の方で、アラスカの野生動物の写真を撮っていた星野道夫さんによると彼らは自分たちの祖先は海の彼方からやってきたという…」
話はつきないので、また機会をあらためて。シラカバの油からマーガリンをつくる話、サンシュユの枝についた酵母からヨーグルトをつくる話などなど。