脚本あるいは演劇、あるいは好きなことで食うには

今日は脚本の書き方と言うよりは、それでどう食べていくのか、と言うお話。
検索エンジンからこのブログにたどり着いた方のキーワードとして、「脚本」「書き方」があります。皆さんきっと今、自分が抱えている脚本をどう形にしてよいのか悩んでいるのだと思います。
中には、すでに何度か書いている人もいることでしょう。
そういう人は、将来やはり演劇で食べていきたい、映画で食っていきたいと思っているのでしょうか。もしそうであれば、ぜひ頑張って下さい。わたしの場合は「どうせオレのは商業的じゃないから」と演劇で食べていくことはほとんど考えていませんでした。かといってほかに何か食べていけるスキルを身につけるでもなく、またサラリーマンになるのを食わず嫌いしていて、何もしてませんでした。その反省を込めて、いつもわたしが読んでいる梅田望夫さん(筑摩書房「web2.0」で有名になった方)のブログから引用して紹介します。

やりたくもないことをやり続けて一生を送り、それで仮に裕福な生活を送ることができても、僕にとってそれは「サバイバル」ではない。そんな人生は絶対に嫌である。そうだそうだと共感する人も多いかもしれないけれど、意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。

My Life Between Silicon Valley and Japan – 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。より引用】

好きなことを続けて行くには、確かに相当なサバイバルが必要です。それで食っていくとなればさらに。
わたしは今脚本家にはなりたくないですが、絵を描くのが楽しくて、それで物語を作りたいと思っています。それで食うためにはどうしたらよいか?これまたニッチなことをやりたいものですが(全くひねくれ者です)、中年にさしかかった今、あきらめずに戦略的に考えていきます。


感動して欲しいシーンで感動してもらう方法

  今まで脚本や物語を作るときに大事なこととして「自分の想像力を現実に再現する」ことだとお話ししました。
でも、想像したものを見せるだけで喜ばれるものなのか、という根本的な疑問があります。

よくあることですが、他人の見た夢の話ほどつまらないものはありません。「奇想天外だけど…」何も共感するところがない。
またデジタルで作成した絵は、見たこともないようなことが描けていても、なぜか感動が少ない。

また逆に、例えば「これすごい素敵だ」と思った写真や絵を他人に見せた時に、とんちんかんな感想や否定的な意見を言われたことは誰しもあるはずです。

自分が感じた感動を他人と共有するにはどうすればよいでしょう。
1.「可能なこと」と「したいこと」はちがうと認識する
脚本ではあまりないでしょうが、映画や絵画ではデジタルでいろんなことができるようになったので、あれもできるこれもできるといろいろいじりがちです。でも、それで実現できることはあなたが本当に見せたかったことでしょうか。技術は自分がやりたいことを実現するために用いるもので、自分のやりたいことを換算させるために使うものではありません。

2.文脈を丁寧につくる
自分が素敵だと思ったことを共有してもらうためには、感動までの道筋、つまり文脈を共有することが前提です。文脈とは、設定と流れのこととここでは解釈して下さい。
脚本でいえば、まず抱えている問題設定や描く登場人物の方向性など、地盤になる部分を理解してもらうこと。その次に共有して欲しい感動に向かってほかの人も同じ道をたどれるように、別の方向へ迷わないように、道筋をつくってあげること。つまり見せたいシーンまでの物語を、シーンそのものと同じくらい大切に書いてあげます。
そういう意味ではサービス精神旺盛な人は脚本や物語作りに向いています。最近言葉で言うと「ユーザーエクスペリエンス」でしょうか。べつに物語の道筋だけでなく、読む人や見る人をできるだけ早く物語に引き込むためには、笑わせたり脅かしたり、それ相応の仕掛けを考えてあげなければなりません。中盤でも終盤でも、それなりのサービスが必要があってこそ赤の他人である読者・観客を引きつけていけるのだと思います。

そう言う意味で、脚本家には本当にサービス精神は必要だと思います。

あなたはテーマの奴隷ではない

「これってテーマは家族?」
ヴィム・ベンダースの「パリ・テキサス」を観たあと、友人が言いました。
テーマを探すのは見る人の自由ですが、おそらくヴィム・ベンダースは恐らく「テーマは家族だ」と思って映画を撮らなかったでしょうし、そもそもテーマを伝えるために映画を撮ってはいないと思います。

端的に言えば、作品はテーマを伝えるための手段ではないのです。
作品はあくまであなたが「これがすてき」と思えるシーンを現実の上に再現するための方法です。テーマが何かしらあって、それをどうしても伝えたいのなら、観客を集めた時にチラシを配ればいいのです。
いや、テーマありきの演劇や脚本を否定するわけではありません。社会問題を告知するための方法として演劇や映画を用いることもよくあることです。でも、もしあなたがそう言う制約の下でなく、自分の想像力と創造力を可能な限り自由に使いたいなら、そしてそれによって見る人を楽しませたいなら、テーマなど必要ありません。
あくまであなたが人に観て欲しい、共有したいエピソードを積み重ねること、それらのエピソードどうしがスムーズにつながるように整理すること、それがあなたの仕事だと思います。だってあなたは自分の想像力を出力するのが役割で、(他人が設定したものであれ、自分が設定したものであれ)テーマを再現するための奴隷ではないんでしょ?

ただし方法論として、自分の想像力を人に見せるだけで、他の人が見てもおもしろいものになるのか?という疑問はあります。
それについては近日説明します。


どうぞお読みください

先日は自由に上演してよい脚本をいくつかご紹介しましたが、そう言えば上演はダメだけど、読むのは自由な脚本がありました。
私が今年の1月に書き上げたもので、夏に札幌市内で上演される予定だそうです。
プロット段階からオープンになっており、誰でも読んで結構という設定です。
お読み頂いて、興味があったらぜひ劇場に足を運んでみてください。どんな演出になるかは、私もわかりません。日時や場所など詳細がわかればご紹介します。
脚本はこちら
脚本制作のブログはこちら

※くれぐれもこれは読むだけにとどめてください。上演はもちろん、脚本の配布なども脚本依頼主の権利であり、これらは固くお断りします。よろしくお願いします。


想像力は…それでええんかい!

脚本やストーリーをつくる時には、必ず壁に当たります。想像力が硬直して、そこからどうにも進まない。というか、今考えていること以上のことが思い浮かばない。恐らくどんなことでも言えると思いますが、実は自分で考えている以上に、自分の想像力は狭苦しいものです。

少し前に現代美術家・大竹伸朗の大規模な展覧会が開かれていました。美術雑誌などでやたらどこでも特集を組んでいましたが、彼の描いた絵本は、今自分が悩んでいる想像力のつまらなさを思い知らしてくれる意味で、すごく大事です。
絵本のタイトルはジャリおじさん。毎日海を見て暮らしていたおじさんがふと後ろを振り向くと「きいろいみちがつづいているではありませんか」から始まり、途中ピンクのワニやら青いゾウやら、もう1人の自分やら神様とかにも会うのですが、まあ絵のすごいこと。よく言えばアグレッシブ、素直に言えば、「それでええんかい!」とつっこみたくなるアバウト感。だからこそよけいに自分の想像力がつまらなくなります。

ふと気がつけば、自分の今つくっているものを全て最初からやり直すか、
全てやる気をなくすかのどちらかになります。

おすすめです。


脚本を公開します。ご自由に上演を。

私が以前書いた脚本で、もうすっかり上演される予定のないものがいくつかあります。どれも1990年代の作品ですが。それらを公開することにしました。

  • 冒頭から結末までオープン。ご自由に読んでかまいません。
  • 上演フリー。気に入ったらご自由に上演してください。
  • お金はいりません。
  • 著作権は私が保持します。だから改変はしないでください。

あと、上演する際にはご連絡をいただけるとうれしいです。これは他の人がどんな風に舞台にするのか見てみたいだけです。

■音の鳴る食卓■
詩人の伊藤整の詩が正直私にはピンと来なかったんです。でも背景が変わればおもしろく感じられるかもしれないと思い、それを1つの町が始まってから終わるまでの話にからめました。

A アメリカの調査隊が1984年に南極のアラン高原で見つけた1500万年前火星から放出され1万3千年前地球に落下したと思われる隕石に1996年8月原始的な生物が合成したと思われる細胞の痕跡が見つかったんだ。
B おれは高校3年の時沢口靖子と付き合っていたっていう噂の野球部の男と中学時代一ヶ月だけ同じ詩吟教室に通っていた女の子もやっていたっていうびっくりドンキーのバイトで皿を20枚割ってクビになったヤツの姉貴と幼稚園のころ友達だったよ。
A そっちの方がすごいな。
ハル ツキって、なに?
セイ 月?月はつまり太陽系第三惑星たる地球の衛星で、直径は3480kmで地球の4分の1、体積は地球の50分の1、質
量は81分の1。地球からの平均距離38万4千4百kmの楕円軌道を時速3千7百㎞で周回し、それを1周するのに27日7時間43分と11.5秒かかる天
体のこと。
ハル それって、なに?
セイ それ?それとはつまり、ええと…。
ハル さわれる?
セイ いや、さわれないなあ。そう、なぜかというと夜になると月は高い夜空にかかって、黄色い月光を放ち…。
ハル ゲッコウってなに?
セイ 月光というのは、うーんと…黄色い月が照らす光のことだけど。
ハル さわれる?
セイ さわれない。
ハル どんなもの?
セイ 夜、それがあると物には皆青い影ができて…するとあたり一面がとても静かで心落ち着いた様子になって…それから―。
ハル わからない。

イ そうだなあ…たとえば、こういうのはどうだろう、僕が以前作った詩なんだけど…(伊藤整『月光』)蒼白い月光に照らし出されたものは、家並みの明るさ
をさまよう犬と、怪しいペルシャ模様を投げる草と、夜の猛獣となる森と、光にすいた髪の毛と、こいびとよ、おまえの真っ白い足袋のつま先。―どう?
ハル うーん。わかんない。

イ そうか。自信なくすなあ。じゃあしょうがない。同業者の作品を出すのはやや気が引けないこともないが、―月夜の晩に拾ったボタンはどうしてそれが捨てられようか?これでどうだ。
ハル うーん、まだ。
セイ じゃあ、ええっと。(ピアノを弾く。ベートーベンの『月光』)
セイ どう?見えてきた?
ハル うん、少し。

■桜桃の種■
黒澤明の「白痴」を見て、同じドストエフスキーの小説を読んでも感じることがちがうんだな、じゃあ自分はどんな風にしたいだろうと思って書いたもの。登場人物3人。

椋田 確か僕が君に覆い被さって、それからええっと、ドアが開いて、そこにあなたがナイフを持って立っていたような?

梧郎 そう。

椋田 そうか、それで気絶したんだ。

妙子 びっくりしたでしょ。

椋田 うん。心臓が止まるかと。で…?

梧郎 は?

妙子 あ…(兄を紹介して)兄さん。

椋田は、突然折り紙を手にとり、折り紙を折る。

それを見る梧郎と妙子。

椋田は完成させて、梧郎に差し出す。

椋田 ―ムクダです。

梧郎 あ、え、どうも。梧郎です。

妙子 服、着たら。

椋田 あ、そうだね。

■はだかのくちびる■
一人芝居。サロメを下敷きに。その耽美的な雰囲気をもっと思い切って舞台に出したらどうなるだろう、という試み。

あれ?コバヤシー? ねえ!どっかに隠れてるのー?ねえ!

    そこに箱がある。首を傾げながらそれを持ってくる。

(扉に)だあれ?ナカハラさん?…だあれ?誰もいないの?

返答なし。

箱を開けようかどうしようか、迷う。

遠ざけて自分は座る。しばらく別のことを考えようとするが、やっぱり気になる。

箱を開ける。蓋を取る。

       そこには、コバヤシの首

息を呑む。首の髪をさわる。次いで頬。というようにさわっていく。

両手で首を持って、立ち上がる。鞠のように床につく。跳ねない。何度か試みる。弾みどころが悪く、床を転がっていく。

 

■にぶんのさん■
2人芝居。脚本がどうであろうとも、演劇は演出家と役者が決めるのではないかと思い、セリフは全てチェホフの「三人姉妹」から。自分で演出した時には、若年性アルツハイマーの夫とその妻という設定。

B よしてよ、アンドレイ。話はあしたにしましょう。なんて厭なことばかりある夜だろう!

A まあそう興奮しないでくれ。僕はしごく冷静にきいてるんだ。なんの不服があるのか、とね。さあ、はっきり言ってくれないか。

B トラム・タム・タム!

A トラ・タ・タ!~さよならオーリャ、大事にね。~よくおやすみ。~さよならアンドレイ。あっちへいらっしゃいね、この二人、へとへとなんだから…話はあしただってできるわ。

B ほんとよ、アンドレイ、あしたのことにしましょう。もう寝る時刻よ。

A ちょっと言うだけで出ていくよ。すぐだ。

A、向こうに断って、一度電話をおく。

そして折り紙を一枚取り、もう一枚Bに渡す。さっきBの折れなかったのを一から丁寧に折っていく。

B、ついて行くべく折っていく。

折りながら二人は台詞をつぶやく。

二人 (バ
ラバラに)…第一に、きみたちは僕の妻のナターシャに、何か反感をもっている。僕はそれに、そもそもの結婚の当日から気がついている。ナターシャは立派な
潔自な人間だ、まっすぐな品性の高い人間だ―これが僕の意見だよ。僕は妻を愛し、かつ尊敬して…。

二人折り紙に夢中。


ストーリーはどうやってつくるか

「物語を作る」と意気込んでも、何も出てきません。

物語とはエピソードの集積です。個々のエピソードの組み合わせや、エピソードの内容そのものを編集するのが「物語を作る」ことと考えるとよいでしょう。

ではそのエピソードはどうやってつくるか?
長いエピソードは必要ありません。ほんの数秒でもいいのです。あなたが「これを現実に再現したい」と思うシーン、台詞がエピソード。ただし少なくとも情景と人物がセットであること。台詞のみ、人物のいない風景のみでは、芝居にはならないからです。

どんなエピソードを思いつくかで脚本のオリジナリティが決まります。

舞台に再現したいエピソードが「どこかで見たもの」だったら、やり直しです。あなたがそれをつくる必要性はどこにもないからです。どれだけ考えても「どこかで見たようなもの」ばかりだったら? 残念ながら脚本を作るのには向いていないでしょう。

また、いくつエピソードを思いつくかでその後の作業の難易が決まります。当たり前ですが、コマはたくさんある方がよいからです。
その組み合わせ方法についてはいずれ述べるかもしれませんが、大切なことはよいシーンを出し惜しみしないこと、そしてよいシーンでも捨てる勇気を持つことです。
よいシーンはラストに残しておきたくなりますが、実ははじめの方に持ってきて、観客をぐっと引き込んだほうがよい場合もあります。じゃあラストはどんなシーンを? もっとすばらしいエピソードを思いつけばよいのです! 自分の想像力を信用しましょう。
また組み合わせる中で、これを入れると矛盾が避けられないエピソードも出てきます。どうやってもダメなら、それは捨ててまた別の脚本で使いましょう。あなたには何本も脚本を作る才能があると言うことです。とりあえず目先の脚本の完成度を上げれば、次の脚本にも期待する人が多くなります。アイデアは惜しんではいけません。もっとすごいアイデア、エピソードがこのあと生まれるからです。