富田忠雄さん

昨日の夜から富良野に入り、今朝は風のガーデンテープカットや上野さんや大森さんや倉本さんや後藤純夫美術館など書きたいことはいろいろあるが、それは後日にさせていただいて、今日、初めてご挨拶したファーム富田の富田忠雄さんのことを書こう。ラベンダーが好きで好きでたまらなかったそうだ。

はじめ雑誌の説明や趣旨、ご挨拶の意図などお話しし、また雑誌の問題点などご指摘いただいた。その後、ラベンダーが人に認められるまでの苦節のお話を聞かせていただく。今でこそ年間100万人をくだらない訪問者があり、50数年のラベンダー人生のうち、最初の20年は本当に大変だったということ。もうこれでだめだ、家族を食べさせていけない、というときにやむを得ずラベンダーを機械で刈るときに悲鳴のように聞こえたこと、そのときに奥様が突っ伏して泣いておられたこと、その年の国鉄のカレンダーにたまたまラベンダーと列車の写真が掲載されたこと、それをきっかけに30人ほどのプロカメラマンが訪れたこと、そのひとりの知り合いとして訪れた女性がフランスでのラベンダーの利用方法(匂い袋など)を教えてくれて、お母さんと一緒にそれをつくってくれたこと、それが初めての現金収入になったこと、それをおみやげ代わりに受け取った多数のカメラマンが数々の雑誌にファーム富田のラベンダーの写真を売り込んで掲載してくれたこと、そしてそれを見て多数の旅行客が訪れるようになったこと、でも匂い袋を教えてくれた女性の名前は誰も知らなかったこと、などたくさんのお話を聞いた。直接ご本人からうかがって、ちょっと涙が出そうだった。
そのあとも応接室にある、フランスでの表彰記念品とか、園内のディスプレイとか蒸留器とか、オーデコロンとかご説明いただいたり、アイスクリームをごちそうになったり、石けんをおみやげに持たせてくれたりした。

その中で随所で小さく気になったのは、奥様のことだ。富田さんがフランスに行くようになってしばらくのころにお亡くなりになっている。
園内には「倖の舎」という四阿があったり、ファーム富田でつくる最高級の香水の名前は「倖」だったりする。奥様の名前からとっている。
そして富田さんには「次はぜひ奥様といらしてください」とおっしゃっていただいたり、またハウスの早咲きラベンダーに喜ぶ観光客を見て「普段は手をつながないご夫婦もこういうときには腕を組んでいたりするんです」とお話いただいたりした。

富田さんも70代後半。私は富田さんのラベンダーように、「好きでたまらない」ものがあるだろうか。あるとしても、そのためにどこまで本気で人生を棒にふれるだろうか。そしていずれなくなってしまう人生の中で、何をしたらよいのだろうか。

家に帰ったら、妻から電話があった。
病院にずっと入院していたおじさんが亡くなったとのこと。

人はいずれ死ぬ。
私も40を過ぎた。人生は半ばを過ぎたといってもいいと思う。
残り、自分のために妻のために人のためにどうしたらいいのか、真剣に考える。

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