今日おもったこと

絵っていうのは、おそらく誰でも上手に仕上げたくなる。仕上げるべきや,という緊張した意気込みで描くので、それがいい方向に出るとすごくいい絵になるし,そうじゃない場合は「仕上げるべき」理想との落差プラス意気込み分落ち込むことになる。それがいやなので万年筆を買ってみた。ボールペンと比べて先端が柔らかいので緊張感が少なくなるのと,摩擦があまりないので書き出しのハードルが低くなるのが狙い。
Img390

化粧する奥さん。太さはMなので、太い分,線が甘くなる。それは仕方ないか。緊張感をだしたい時は細いボールペンを使うのがよさそう。
もちろん、「上手に描きたい」と意気込んだときには,先日の円山動物園の時のように失敗するのはボールペンだろうが万年筆だろうが同じだろう。ボールペンの方がコントロールしやくて緊張感を伝えやすい分、失敗は少ないかもしれない。
Yuzupon

線も「どこかで見た」ようになりやすい。ボールペンよりペンの方が圧倒的に使っている人が多いからだろう。でもすらすら描けるという点では万年筆の方がよさげだ。
Img391

途中では、描いていることを意識していなかった。

ところで昨日の「大和政権」の本を読んでいて一番衝撃だったのが,当時は姓名のうち姓がなかったのと戸籍がなかったので,名前しかなくてしかも人が自分のことを呼ぶ名称が1つではなかったこと。つまりある人のことについて、特定の名称がなく,要するにその人の呼び名はある意味全部あだ名のような固有名詞のようなどちらともつかないもの。元気ですごい人はワカタケさん(あるいはワカタケル)で、ミミズクっぽいひとはミミズク君で、しかも他の人は別の名前で呼んでもかまわない。つまり自分特有の固有名詞はなく,そうなると「私」についての意識も違うはず。いやあ,どんな風に自分を意識していたのか,すごく気になる。

河内に巨大古墳が多いのは、朝鮮半島との交易のポイントだったので、その地域の豪族に力があったためと思う。古墳がでかいのは,ほかの豪族に見せつけるため。当時の大和政権は近畿中央の有力豪族の輪番制とか合議制で大王を選出した可能性もあり,この河内のグループから大王が出た可能性はあるが,実際はまったくこの河内豪族からは輩出されずていない可能性もあると思う。大和とは全く別個にあるいは半ば独立する形で政権を持ち、大陸と外交をしていたことも考えられる。なぜ百舌鳥と古市の2つのグループがあるのかは、これらは姻戚関係の深いグループで、ともに力があったからか。

その後朝鮮半島外交と白村江の戦いなどの軍事に失敗し,河内の力がなくなって短命王朝が乱立し,河内北部の継体天皇の一族が中心になった。おそらく淀川に関する国内交易のポイントだったからではないか。その後なぜふたたび大和に力が移ったのかはわからない。仏教を受け入れたことと関係があるのかもしれない。仏教と一緒に入ってくるものに、最先端の技術と情報があるから。ひょっとすると、日本書紀も古事記も、書いているのは飛鳥時代に大王となったグループとその祖先についてのみの記述で,百舌鳥、古市のグループについては触れていない可能性もある。

など今日は考えた。