押してだめなら割ってみよう

依頼された脚本、上演は10月に決定しております。それに伴い、なんとか3月、だめなら4月中にはあげてくれという連絡が、プロデューサーから来ました。もっともです。
今まで先方の条件変更を理由にして、具体的なアクションを先延ばしにしてきました。
でもそのおかげで、「おれって、いま何を書きたいんかなあ」ということを徐々に考え始めました。いや、本とはもっと最初に考えるべきなのですが、「依頼され」てその条件に沿うことばかりを考えていたので、脳みそを自分仕様に解放するのにずいぶん時間がかかったといえばよいでしょうか。この辺、もっと上手だったら商売できたのかもしれませんが。
とにかく、「自分が面白いもの」を探しているうちにますます混乱してきました。
こういうときはついつい「小商売」に手を出してしまいがちです。「何かもうけ口はないかな」と考えている小さなビジネスマンが陥る罠のようなもので、自分が今までやってきたことの延長線上で、ちょっと「あ、いいかも」と思ったことを「いけそう」と思いこんで追いかけてしまうことですが(造語です)、台本でも同じで、「あ、いけそうかも」と思った小さいネタを追いかけてしまいがちです。もちろんたいてい、最終的に納得いくものにはならず、仮に将来「自分大全集」なるものを発行するようなことがあっても、真っ先に外してしまうような作品になります。
こういうときには、一回、これまで思いついたことを全部破棄してしまうのが近道です。
…。
というわけで、今手元には何もありません。
いや、光明は見えています。
一気に大感動に持ち込む欲を捨てたこと。そして、「大切にしたいな」と思う小さなネタを有機的につなげること。だれでもそうでしょうが、一気に大きなことをつくるより、それらを分割して組み合わせた方が考えるのは楽です。
脚本でいえば、90分なり120分を1つの物語で何とかしようとするのはいったん捨てて、3分割か4分割にして1つ一つを少人数の登場人物でつくり、あわよくば全体を通して1つの物語を構成する方法です。まあ簡単にいえば、「押してだめなら割ってみろ」ということです。たぶんビジネスの世界でも同じと思いますが、でかすぎると何をしていいのかわからなくなるので、分割してそれぞれに目標を決めるわけです。目標というのは物語のゴールです。最終的なテーマじゃなくても、そのパートでの最後の台詞、あるいは誰を見せる、でもいいのです。
え、まだ迷いがある? ジム・ジャームッシュをご覧なさい。「ナイトオンザプラネット」しかり、「コーヒーアンドシガレット」しかり。
どうです、台本を考えるのが楽しくなってきたでしょう?

押してだめなら割ってみよう」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。