構成とは文法

私が今書いている文章を、あなたは理解することができます。なぜでしょう?
日本語を知っているから? それはつまり日本語の単語の意味を知っているから、そして単語同士のつながりで文の意味をつくる文法を知っているからです。
脚本にも同じことが言えます。
何度も書いたように、脚本は演出家、役者、スタッフ、そして観客に伝わってナンボの表現です。
しかし、私とあなたとの間を介するのに日本語があったようには、脚本家と彼らとの共通の文法はありません。
台詞の1つ1つが音節、シーンが単語、幕が文節、脚本全体が1つの分と考えてみましょう。それらの組み合わせから1つの意味を導く文法は、残念ながらありません。それは脚本それぞれによってちがうからです。仕方がないので、脚本を読んでもらう中で、脚本家が作った文法を読みとってもらうしかないのです。
そのためには、文法はきちんと読めば誰にでも共通に理解できるものでなければなりません。そもそも理解するためには、論理的な組み合わせであることが必要です。書く側の好き勝手では、読み方も不明だし、演出家や役者スタッフの皆に共通の理解は生み出せないことはおわかりでしょう。(もちろん、読みとる側がわざと文法を誤読して、全く理解の異なる舞台をつくるのは自由です)
文法に相当するのが構成です。だから構成は大切なのです。