絵を描く仕事をする人になった1年でした

すでに冬は終わったようなものです。なにしろ冬至は過ぎたのですから。あとは毎日「今日も日が長くなったなあ」と楽しんでいればいいのです。雪のかさは増えていきますけど、それもあと1、2か月じゃないですか。

今、依頼された絵を描いています。プレゼント用にとのことです。そのために僕の絵を選んでくれて、本当にありがたいことです。そういえば今年は絵を描く人になったなあという気がします。昨年の今頃というか、今年の春まではまだライターの藤川が絵も描いている状態だったのですが、その後は絵を描きながらライターもやっている状態です。もちろん、まだ両方やらないとごはんが食べられません。しかし徐々に絵を描く仕事を頂いたり、個展でも絵をお買い上げいただけるようになっています。当たり前ですが、自分で自分の絵をいくら高く評価してもご飯は食べられないので、ひとえに絵を見て頂く方、お買い上げいただく方々のおかげで生きています。ありがとうございます。

僕はできるだけ自由な状態で生きていきたいとずっと思っていました。演劇の脚本家と演出家をやっていた時は自由でしたが、お金は稼いでいませんでした。その後サラリーマンになって生活は安定しましたが、営業職で、演劇のように何かを創りたいという欲望はずっとありました。ふと入った居酒屋でスピッツというバンドの「ロビンソン」が流れていて、「こういう風に何かをつくりたいな」と思ったのを今でも思い出します。

転職して偶然にも編集者になり、サラリーマンであるものの「何かを創る」に近い職種を得る事が出来ました。やりがいはありましたが、雑誌というのは読者と直接対面して手渡しして買ってもらうものではないので、自分の給料の源泉がどこにあるのかよく見えない仕事です。だから自分で作ったものや自分で仕入れたものを直接人に売ってお金を得る仕事に憧れました。また編集者なり、編集長なりという自分の身分は自分で保証しているのではなく会社が与えているものなので、常にどこか不安な気持ちでした。また会社員というのは会社の利益のための一員なので、自分の人生を自分の手に取り戻したいという気持ちがずっとありました。特に40歳前後になって人生の半分まで来たということを自覚し出してからは特にその気持ちが強くなりました。

いろいろ理由があって会社を辞め、フリーのライターとなったのは今から4年半前です。望んでフリーな職種を得たのですが、実はなかなか文字通り「自由」ではありません。編集者の意向に合わせた記事内容を作らなければならないのはいいとして、時には仕事を失わないよう自分の気持ちに嘘をつく必要もあります。

最初に僕の絵に注目して頂いたのは、上野ファームの上野砂由紀さんでした。上野ファームとは別法人の名刺のイラストを描かせて頂いたり、ギャラリーで個展をやらないかとお話を頂いたりしました。花新聞北海道さんにもエッセイとイラストを描かせてもらうようになり…その後はいろいろな方に応援して頂いて、今の状況があります。

絵を描く仕事は自分の好きなように描くだけでなく、依頼者がいるときにはそれに合わせて描く必要もありますが、基本的には自由です。そして直接顔を見て絵を手渡すことができます。絵をお渡しする瞬間のしびれるような感覚は何にも代えがたいものがあります。まだこれだけで生活できていないので完全とは言いませんが、人生が自分の手元に戻ってきている感覚があります。

今年はまた画風が大きく展開し、展示させて頂く機会も増えました。すでに来年の絵の仕事や展示のお誘いもいただけるようになりました。今まではライターとしての藤川の名前を知っている方がお客様の中心でしたが、いつの間にか見ず知らずの方にも多く絵を買って頂けるようになりました。そのことを思うと、どこかで見えない大きな歯車がごっとんと動き始めたような気がしています。それが確かなことなのか、それとも気のせいだったのかは、来年の僕のがんばり次第ではっきりします。応援してくださっている皆さんの期待にこたえられるよう日々絵を描き続けていきたいと思っています。

コテージガーデンさんの忘年会の帰りみちで。雪雲の上に輝く光とそれをかすかに映す雪の原

コテージガーデンさんの忘年会の帰りみちで。防風林と雪雲の上に輝く光

コテージガーデンさんは来年20周年だそうです。10周年のパーティに顔を出させてもらったのを覚えていますので、あれから10年。早いものですねと梅木さんとお話しました。これからの10年はどうなっていくのかもたのしみです。