湯豆腐です。
うちのペレットストーブは熱いか寒いかのどちらかなので、寒い時間に湯豆腐はぴったり。暑い時間には、ネコさえ遠ざかります。
家に帰るとペレットストーブがついていた。ネコも私も機嫌よし。単純なモノで、寒い、おなかすいた、眠いという肉体的なネガティブに弱いんです。
今年は灯油が値下がりしたので、ペレットの方が高くつくと思う。しかしうちのストーブのよいところは、電気がいらないことだ。燃焼とその空気の流れだけでストーブとして機能する。こういう単純さがよい。時計もカメラも本当は単純な方がいいしね。
↓パソコンでメールをチェックする妻と、その手前で寝転がるネコ。山岳会に入って以来、すっかりメールを打つ人になった。
じゃんけんをしてみた。とりあえず言うだけ言って、少しすっきりした。そして少し考えることにした。選択肢は3つ。おりる、ひとり、どくさい。
いやー寒い。家でじっとしていると、冷える冷える。しょうがないから体を動かそうと、掃除機をかけた。うちはまだオイルヒーターでがんばっている。いや、単にペレットを注文するのがおっくうだっただけ。明日にはペレットが届く。冬の風物詩が始まる。
ちょっとネコの方が小さくなってしまったが、まあ、いいでしょう。
昨日は旭川の上野ファームで、上野砂由紀さんとリトルロックの松藤さんとの対談の取材。楽しかった。「植物優先、庭は生活の延長」という人たちの話を聞くのは本当に楽しいし、それを誌面にできる機会があるのは本当にうれしい。これが今の仕事の醍醐味。
上野さんとは上野ファームができて2年目に取材に行ったときからのつきあいなので、すでに7年くらいか。でもそのころから全然変わっていない気がする。
取材場所は上野ファームのNAYA CAFE(ナヤカフェ)で、カレーがうまかった。コーヒーもおざなりじゃなくてちゃんとよい香りがした。すいません、コーヒーとワインはあまり得意じゃないんで、その程度しか分かりません。
NAYA CAFEにはギャラリーもあって、以前からそこで個展をやって欲しいと上野さんにいわれていた。半ば社交辞令と思っていたが、ありがたいことに、本気らしい。silent storyを展示して欲しいといわれた。やばい。最近、新作つくってないけど。
…がんばりましょう。
今日はとある出版社の方から作品に関して問い合わせをいただいた。ありがたいこと。
それにしても寒い。
今日は実は仕事は休み。以前休日出勤したので、その代休。そこで午前中は妻とスタバにいって贅沢な朝食を食べ、午後は円山のアラウンドザコーナーでちょっと取材(休みだけど仕事もちょっとしました)。12月にリニューアルするそう。楽しみ。オーナーの道順さんはじつは元々植物や花関係の人ではなかったが、独学で勉強して花屋を始めたそう。すごいね。植物好きという感じが伝わる、観葉植物の品揃えがいい。でもビルにツタをはわせると苦情があるとか、なかなか大変そう。でもそのツタの青い実が、とてもきれいだった。
そして、道立近代美術館に行く。ルオー展。
…以前に大阪で見たモディリアニ展まではいかないが、ピンとこなかった。でももちろん、絵っていうだけでじゅうぶん楽しいけどね。常設展でシャガールとパスキン展をやっていたが、シャガールに関しては以前から余りよく分かっていなかったしピンとこないが、初期の版画の線描はとても面白かった。パスキンは前から好き。特にスケッチ。
ルオーさんのあまり好きじゃないのは、目が黒いところ。子供がかわいくないところ。
あと、アウトラインが太すぎるところ。
経歴を見たら、10代はステンドグラス職人見習いだったらしい。そりゃ、アウトライン太くするよ。今まで、彼がどうしてアウトラインにこだわった画風なのか分からなかったので、それにたどりついた理由にすごく興味あったが、あっさりタネあかし。
それなりに面白かったけど、2回目は行かないかな。佐伯祐三展は3回いったけど。
なぜだろう、といつも思うことがある。小説を読んでいて、主人公の行動についても同じように思うことがある。
なぜ人は自分の延長線上でしか、自分の人生を考えないのだろう。
今日はHBCのT田氏と琴似で酒を飲んだ。といっても、一軒だけだが。魚がうまかった。話題は主にアジアの人々、特にカンボジア、ラオス、ベトナム、タイの人々の暮らしの話。それぞれに国民性があり、それぞれにおかしいが、それぞれに楽しいという話だった。
私にとってはそれが、住む場所によって人生いろいろだなあ、と言う趣旨に聞こえた。
逆に言えば、住む場所が違えば、人生はいかようにも変わるということだ。特に政治に翻弄されて戦争に翻弄される国なら、なおさらかもしれない。それは一昨日の百瀬氏の話にも通じるモノだった。
そして帰ることになって、琴似駅に向かう途中、お兄さんと夜のお姉さん達がビラを配っていた。決して、風俗やパブや飲み屋でさえない店のシャッターの前で、もちろん、その上の階も、そうした店ではない。
でも確実になんらかの風俗系とかそれにちかいお店の人に見えた。
そのお店の前ではない場所でビラを配るということは、どれだけ奥まった場所のお店なのか、あるいはお客の少ない店なのかが、分かるとも言える。そして彼女らは、そうしたお店で働いている。
お姉さん達は寒い中、統一の長いスタジャンを着ているのだが、決して熱心には見えない。
いったい、彼女たちはなにをしたいのか。なぜ薄野ではなく琴似なのか。なぜ白石とか南郷とか24条とかではなく、琴似なのか。
選ばれた理由も選んだ理由もなさそうで、そしてこの場所への思い入れもなくバイトというだけでビラを差し出す。
なぜここから出ないのか。
出られないのか。
そういうことではないと思う。
おそらく、それ以外の人生が想像できないからではないか。やめたい、と思ったときに初めて拡がるのだろう。
そしてそれは会社員も同じで、自分の進路の延長線上でしか人生を想像できない。
ビラを配る人生もあれば、花を配る人生、白装束に身を包んでアジアを歴訪する人生、音をつくって劇場でかなでる人生、ひたすら眠る人生もある。
なぜひとは自分の今ある人生以外の広がりを想像できないのか。
むしろ、想像することをあらかじめ拒否しているかのようだ。
私の場合はどうだろうか。
(ちなみに、近日中にじゃんけんをするかも、とT田さんに言ったら、軽くながされたが)。
じゃんけんをいつ始めるべきか、そしてそれは何からはじめるべきか、始まったらどのような順番でグーチョキパーをだすか、そればかり考えている、この数日。
昨日は百瀬夫妻が遊びに来てくれた。
鍋をした。楽しかった。
百瀬氏は東ヨーロッパ、特に旧ユーゴの一人旅から帰ってきたばかりで、その写真を見せてもらった。面白い写真がいっぱいだった。そして夫妻で私のスケッチブックを見て喜んでくれた。
ところで、彼はもう演劇の音響はやらないらしい。その潔さ。
そして私はぐずぐずしている。じゃんけんについて。だもんで、ついダシール・ハメットとかレイモンド・チャンドラーの文庫本を鞄に入れてしまう。ある意味逃避ではなかろうか。
そんなこととは関係なく、日常のスケッチ。
↓今日の食卓。
↓食器棚の上のネコ
それにしても最近、想像力が遊んでいない。でもこういうときこそ、ファンタジーへの希求が高まる気がする。アホなことを考えるには余裕がないとできないと思っていたが、違うらしい。アホへ逃避すること、そしてどんなあほな想像力にも制限をつけないこと、近い飛び石にジャンプしないこと、が大切だ。
自分はいやなこと、困ったことがあるとすぐに逃避するが、それこそが想像力を飛躍させる原動力であり、新しいストーリーを生む力なのだと、気づいた。何事も一長一短なのである。
そういうわけで、これからは、ストーリーに悩んだらその方向性を追求するのではなく、まったく違うことへ逃避、すなわちジャンプすることがよいと悟った次第の氷雨の夜。
東京は人が多い。建物が多い。空の端から端まで建物がある。
出張で泊まったホテルから見た建物がふしぎに印象的だった。
あとで外に出てみたら、その向こうには小さな川が流れていた。
ホテルでテレビをつけると、井上陽水が歌っていた。
カウントダウンは、私がノックダウンしない限り、だれも数えはしない。
でも自分で数えて、起き上がることはできる。義務と自由は、そのままリスクの度合いに比例する。
ハイリスク、ハイフリー。みんな本来ハイフリーに踊る。
窓のあちこちで人は踊る。ビルの狭間に踊り、狭間のとおくのビルでも踊っているはずだ。
ぎんがぎがの
すすぎの
咲ぐうめばぢの
(宮沢賢治)