気がつけば、ここ1カ月半くらい、大通公園を歩かなかったような。寒かったしね。「樹木の花を見たい」と毎年思うのだが、知らずのうちに花期は終わっている。そんなことを知った昼下がり。
Platanus × acerifolia Wild.
Seed of Ulmus davidiana var. japonica
プラタナスは花が終わって、実がなりかけている。ハルニレはタネが風に飛んでいる。でも花壇の一年草は関係なく咲いている。花壇に小さい子供が入ってお母さんに叱られていた。でも子供だからしょうがないというか、そもそものっぱらに子供が入っても誰も怒らないでしょう。入っちゃいけない花壇をつくる方が悪いのではないだろうか。こぎれいな人工的な花壇をつくるのではなく、のっぱらみたいな自然な花壇をつくろうよ。
(あ、でも大人が花を抜くのはだめです。無抵抗な植物に悪意を働くのは卑怯者のすることだ。)
このところ日本各地で花壇のチューリップとかを抜いたり切ったりする人がいるが、たぶんこれは花壇のこぎれいさ、と言うか「社会的規範です」的な花壇をつくるせいだと思う。偽善的な発言をする人がアウトサイダーから忌み嫌われるように、こぎれい、嘘くさい花を植え方をした花壇は、昼間何かに抑圧されたりイヤなことがあったりして、理屈では処理できない思いをした人にとっては、かえって腹立たしさが増す対象に見えるだろう。とくに園芸品種的に画一的な色と形に品種改良されたチューリップを整然と並べてしまうと、余計にむかつくだろう。
だいたい花は自然のものなのに、整然とした形に落とし込む方がおかしいのかもしれない。幾何学的な配置をするのは管理する側の都合でしかない。それこそ自然ののっぱらのような花壇のほうが見る人も落ち着くし、子供も遊べてよいのではないだろうか。