近々新しいのをアップ予定

このところ更新を怠っております。
新しいsilent-storyを制作中で、そちらの方に頭が向かっているせいでしょうか。ほぼ出来上がっているので、近日中におみせできると思います。今度は「使える」silent-storyです。

それと頼まれている怪談の脚本もやらなくちゃいけません。これはすっかり何も考えないまま月日が経ってしまいました。でもおかげで「実はこれ、いらないんじゃない?」みたいなものは見えてきました。でも、それ取ったら何も残らないんですが。どうしましょう。まあ、「怪談」として素直な方向にすればいいだけで。
でも怪談って、一言で言えますが、じつはかなり幅広い。スプラッタから妖怪、グロテスク、痛い感じ、ファンタジーに近いもの、幽霊などなど。でも演劇でやるときにはかなり難しい。だって、そこに生身の人間=役者があるわけで、嘘はすぐ見破れるからです。意外と演出と役者の方がこれを分かっていないとまずそう。「これは怪談です」というお約束を観客が許してくれないと、「学芸会か、これは」というものになりそうです。それこそがいちばん怖い。

画材について「足を知る」

明日まで、また札幌市中央区の文房具店、大丸セントラルで画材20%オフセールが行われています。
昨日、今日と画材を買ってきました。
でも、ベネチアブックの文庫本サイズスケッチブックとワットマンのポストカードとウォーターフォードのSMサイズをそれぞれ1つずつです。
水彩用紙の最高峰といわれるアルシュが30%オフなので、すごく買いたい衝動に駆られましたが、よく考えたら、極細目の185gの一番小さいサイズでも3000円強。20枚でこれはやっぱり高い。第一、1枚に丹精して「作品」をつくるわけでもなし。ストーリーを書くので、何枚も必要ですし。たいていは何度も描き直します。
それよりなにより、ホルベインの水彩絵の具とウォーターフォードの相性が、自分にとってすごくよい。
でもって、スケッチをするなら、ベネチアブックと小さい水彩セット(シュミンケ・ホラダム8色セット)との相性もいい。
じゃあ、もうほかに画材はいらないのでは?という気がしています。まあ、「足を知る」というところでしょうか(笑)。本当の意味は違うと思いますけど。
で、買ってこなかったわけです。
でもレジに並ぶ、あれもこれもとカゴに突っ込んでいるおばちゃん画家を見ると、自分はただ「小心者」なだけではないかという気もしますが。

これでいいのか悩むところ

次のsilent-storyの作品は本のシオリと決めて数ヶ月。

これで行くとしてさんざん下書きも書いたのですが、その最後でもっとおもしろいことも思いついて、元の話は描けば描くほど、どうしてでしょうか、洗練されるほどにつまらない雰囲気になってきました。不思議です。むしろ元の話しも下書きのラフの線の方が魅力的で、さらにもっと前のアイデア段階の方が生き生きしています。とりあえず、迷いがいっぱいですが、元のアイデアを形にしたものを以下に。jpgなのでダウンロード、印刷には適しません。とりあえず、こんなのも考えました、というくらいで。

左右それぞれが表裏になります。

 
これはこれ自体で改良の余地を埋め尽くせば、それなりに形になるような気がしないでもないです。
一方で、新しく思いついたアイデアも形にしてみようと思っています。
でもここへ来て、自分のいろんなアイデアを「何か役立つ形」に押し込めるのではなく、おもしろければそれでいいんじゃない、という気持ちでラフなままお見せするのもありかなと思っています。なんにせよ、形にしようとか、作品にしようとすると最初の楽しさとか勢いが消えてしまうのが難点です。上手下手より「これ楽しい」というのが伝わるのがいいですね。完成度100%はつくる方もみる方も疲れるのできっとつまらなくなるのでしょう。私の場合60とかせいぜい70でちょうどいいようです。
考えてることや考えたいことはいっぱいあるので、お楽しみに。

演劇の脚本についてもいつも思うことですが、自分の想像力に歯止めをかけてはならない、というのが自分にとって大切なことです。「こうしたら役に立つかも」は歯止めになってしまうし、役立たないとストーリーを現実に使ってもらえないしで、その辺が今後の課題です。

ストーリーのあるシオリ

次の「silent-story」作品について。
物語を日常生活の中にちりばめられないかというのが、このところの私のテーマです。というか、俺はこれをやりたかったんじゃないかという思いが募っています。ストーリーや物語は映画や小説などの「作品」の中に「脚本」という形で存在していますが、実はそれを現実の中に忍び込ませようと言うことです。題して「物語を作品から解放しよう」。大げさか。
例えば、通勤の地下鉄の階段。たいていの会社員は下を向いて登ります。ならばその段の1つ1つや段差の面に絵を描く。1つ登るごとに絵が変化して、物語をつくって、最後は「じゃあ今日もいっちょ働いてやるか」みたいな気持ちになるとか。
例えば、ブックマーク。ネットのじゃなくて、本のしおりです。ページの間に挟もうか、というホンの一瞬にうれしくなる物語が見えるとか。
要するに、現実とリンクする物語を作れないかと思っています。エレベーターのハコだって、ぐるりと囲むようにストーリーがあって、扉が開いたらエレベーターホールにその結末があったらおもしろいと思いませんか? そうなれば出来ればストーリーを見せる形は文字ではなく絵が望ましい。一瞬でわかりますから。

で、そのプロトタイプとしてまずシオリをつくろうと思っています。下がその下書き。


で、今悩んでいるのは(絵が下手なのは別として)、今回に限って台詞を使うかどうか、です。現実と絡む物語をつくる、という意味では本を読んでいる人と会話をさせたい。また物語のスタートとゴールが明確になる、というメリットがあります。
現在悩み中。
でも近日中につくってお見せします。
そのときにはあなたにもダウンロードして(プリントアウトして切り抜いて)使っていただきたいです。

寝る前に思いついたアイデアが思い出せないときはどうするか

silent-storyをつくるに当たり、日々のアイデア探しは欠かせません。昨日書いたような新しい展開をさらに広げるべく、夕べも布団の中で「チャペックの本棚―ヨゼフ・チャペックの装丁デザイン」を開いていろいろ考えていました(ちなみに、この本と「美術手帖」の画材特集が私の枕元の常備品です)。

で、すばらしいアイデアを思いついてうきうきした気分で睡眠に入りました。メモをとろうかと思ったのですが、たまたま枕元に何も用意していなかったので、「まあこんなにいいアイデアなんだから覚えていられるだろう」と思ってスリープ。

案の定ですわ。先ほど、目覚めたのですが思い出せません。よくあることですが、こういうとき、あなたはどうされているでしょうか。

いくら考えても、うきうきしたことまでしか思い出せない。まあこういうときは「思い出せないくらいだからたいしたアイデアじゃなかったんだろう」と自分を慰めてみるものの、なんだか自分の人生を左右するくらいのビッグアイデアなような気もしてきて、すごく気になります。

とりあえず夕べの行動を思い出して、それをなぞってみるーまずはそれからです。実は寝る前に本を開いていたことさえ忘れていたのですが、ようやくにそこまで思い出しーあ、そうか。あれだ!

思い出せました。

なにを?

単純です。オリジナルのブックカバーをつくります。

大丸セントラルでセールやってます

札幌市中央区の文房具店、大丸セントラルでセールをやっています。創業115周年だそうで、全品20%オフ。素晴らしい。昨日行ってみました。
素晴らしい。これを目当てにしたおじさんおばさんの群れ。
私は思わず腰が引けて、何も買わずに帰ってしまいました。
今日、もう一度チャレンジしてみます。


絵はゴムノキ、ギボウシ、ミニアンスリウム