字のない絵本の覚え書き1

字のない絵本の覚え書きとして、以下メモ。

映画のようなオープニング、そういえば構図も映画みたい。おもしろくて最後も笑える。絵は水彩のよう。

銭湯に行く家族連れ。この本が出た70年代は減ってきたとはいえ、まだそういう光景があったからか。ストーリーは銭湯に入ってから出るまでで、特に何があるわけでなく、日常の風景として。絵は「かさ」の方がおもしろい。

姉と弟が庭で遊んでいて、雨が降って、雨の中を遊びに行って、かえって家の中で遊んで、ご飯食べて、寝て、起きたら雨が上がっていた、という話でストーリー的にびっくりはない。絵は軽いタッチの水彩。

写真だけ。ハルニレの秋から春までの風景。だが、それがわかるのに一日かかった。ぱらぱらめくると写真どうしの関連がわからない。

鉛筆かコンテかわからないが、一色でここまで書けるのは本当にすごい。ストーリーの展開もわかりやすい。でも犬がちょっとかわいそうで。最後はハッピーエンドだけど。かわいそうでこの本を買えない。


最初の絵からどんどんズームを引いていったら、人と思ってみていたのは人形で、あるいは書き割りの絵で…というようにミニチュアな世界から現実の世界へ画面を引いていく絵が連続する。それだけといえばそれだけなんだけど。

夜中に流れ星をみてふらふら迷子になりかけた子鹿の話。親切に?子鹿の現在地がマップで表示されている。

正論から脱して繁盛するには

「フラット革命」を読みました。佐々木俊尚氏の新刊、「ネット未来地図〜20の論点」は本当に20のキーワードの解説みたいなもので、あっと驚き目から鱗、みたいな話はなかったのですが、このフラット革命はやっぱり目から鱗みたいな話はないものの、旧来の情報ヒエラルキーが崩れてきた社会、特にネット上のブログを中心とした言説社会の中でどう「絶対正義」と対峙するかということについて示唆に富んでいました。なにせ正論こそが議論の時にやっかいだと私は思っているので、その辺ばかり気にして読んでいたからです。正論って、振りかざした方は楽しいでしょうが、それだと変わったこととか、変わっているけど一考に値する意見が消えちゃうんです。
本全体については、たぶん新聞の言説が社会正義、と思っている人にとっては驚きの内容かもしれないですが、そうでないことを知っている人は前半はいらないかな。でも後半は作者の他県をあげながら、玉石混淆でかつ1つの方向に流れやすいネット言説に対して、今後どう対応していけばよいのかということについて話がされていて、これが参考になりました。でも特に「読まなきゃ」と言うほどの結論はないかな。というのも私がそんなにネット生活を重視していないからでしょう。CGより鉛筆で描いた絵の方が好きだし。以前はイラレとかで絵を描いていたんですが、最近水彩だし。関係ないか。


で、「ニッポンを繁盛させる方法」です。島田紳助さんと東国原知事の対談。これには「正論」以外の話やアイデアがいっぱいです。正論が幅をきかせる最近の風潮についてもチクリと言っているところもあります。たいてい政治の話だと堅くなったり数字とか表が出てきたりしますが、そんなことは一切なく、また芸能人本にありがちないいっぱなしの無責任な感じもなく、自分と地続きの場所に住んでいるおっちゃんたちがすごく建設的な話をしてくれている感じです。特にネット空間で生きていく必要を感じていていない、私のような人間にはこっちの方がお勧め。

生命とは、我々とは、渦だったのか

先日も紹介した長沼毅さんの「生命の星・エウロパ」ですが、最後の方を読み忘れているのを思い出し、まあ、あるいみビールの缶の底に残った飲み残しがもったいないので最後に観をあおる、位の適当な気持ちで読みました。
なんと。
ここにはすごく大事なことが書いてあるじゃないですか。
やはり長沼先生も地球外生命が我々の知っている形になっているとは限らない、だから我々にその生命を認知できるかどうかすら実はわからない、と書いた上で、「では生命とは何か」と続けます。
難しいので省略しますが、要点だけ言うと、生命とはエネルギーの高低差の間にできる渦のようなものだと言うことです。鳴門海峡の渦みたいなものだと。我々もある意味、還元化された水素と酸化された水素との間に出来る、炭素を交えた渦のようなものだそうです。
すばらしい。イヤ、私自身すべてを理解できたわけではないですが、渦という比喩は今後折に触れて考えさせられそうです。またいろんな物語の題材にもなり、政治や自分自身の身の処し方を考えるときの参考にもなりそうな気がします。

読んでよかった。

芸術の神様はいついらっしゃる?

茂木健一郎というひとは、すごいです。ただの「脳科学専門でそれをわかりやすく説明してくれる先生」」ではなく、どんな人ともコミュニケーションがとれる人です。
「芸術の神様が降りてくる瞬間」という本を読みました。
NHKの番組でのインタビューを文字にしたのだと思いますが、作家の町田康さん、バレエダンサーの金森穣さん、ジャズピアニストの山下洋輔さん、落語家の立川志の輔さん、建築家(?)の荒川修作さんらとの対談です。
上手にその人の動機、今からやりたいことなどを引き出していて、金森穣さん、山下洋輔さん、立川志の輔さんに関しては、すぐにライブを見に行きたくなりました。
立川志の輔さんとの対話は後半、逆に質問攻めになっている様子がおかしく、しかし、だからこそ落語の難しさを浮き彫りにしてくれているような気がします。
圧巻は最後の荒川修作さん。養老天命逆転地は以前テレビで観たことがありますが、本人のキャラクターというか、考え方、哲学は普通の人間の考え方のまさに逆転です。「私という有機物の外に人間をつくることを目指している」という荒川氏はつぎつぎに恐ろしく理解しがたい発言や質問をします。日常生活ではいわゆる「ふしぎちゃん」扱いですが、この人はあらゆる科学や哲学、芸術に通じていて「ふしぎ」な人という枠では収まらないのです。でもやや押され気味ながらもきちんと会話をし、コミュニケーションをとれる茂木健一郎という人はすごいです。私自身、仕事でインタビューを2カ月に1回はする身なので、その難しさはわかるつもりです。ぜひ養老天命逆転地、行きたくなりました。

まあそれより、私へは芸術の神様はいつ降りていただけるんでしょうか。

将棋1局は「物語」だ

頭脳勝負、苦手です。将棋、すごく苦手です。ゲームごとはたいてい負けます。一時期フリーターのたしなみとして競馬を趣味としたことがありましたが、トータルですごく負けていたと思います。パチンコをやる人に「馬なんて言う動物にお金をかけるなんて気が知れない」といわれたことがありますが、まあ、その通りです。だいたいが同じようなクラスの馬ばかりです。将棋では羽生善治氏でも勝率7割そこそこ、たいていの有名な将棋指しでも二勝1敗、つまり6割6分です。ましてや騎手や気象や馬場状態、ともに走る馬の数や相性など全部違うので、競馬はまさに読みの余地があまりない、つまりギャンブルです。で、将棋ですが、自分が将棋が弱いだけに棋士には興味があります。
そこでこの、渡辺竜王の本「頭脳勝負」。
自分のような「ルールは知っているけどへたくそ」みたいな人間にはちょうどよいレベル。また将棋の楽しさとかプロ棋士のレベルの高さもわかります。試合を「序盤」「中盤」「終盤」に分けて、何がどういうきっかけでどう変わって、そういう結果になったのかをわかりやすく説明してくれています。

で、思ったのが、物語との関連性。ある意味、将棋とは設定(駒の位置)と登場人物(駒の数と役割)は同じなのに、毎回結末の異なる物語をつくっているようなものです。途中の何らかのきっかけで物語の流れと結末は大きく変わります。大味な物語(登場人物を使い切れていない、十分な思慮がなされないで次の展開に入っている)があるのと同様、大味な試合もあるでしょう。序盤で最後まで見えてしまう物語もあれば、最後にどんでん返しのある物語もあります。おもしろかったのは「遊び駒がある状況では不利になることが多い」(P182)というくだり。遊び駒というのは動かされていない駒、戦力として使われていない駒のことです。もし脚本でこんな人物があったら困ります。物語の中で何を出発点として、何をゴールとして設定されているのか明確でない人物です。つまりベクトルのない人物設定ですね。大人数が出る演劇では往々にしてあります。でもこれって、演じる役者さんも大変です。何を以てその人物に感情移入すべきか見えないので、自分で脚本にないことをいっぱいつくらなければ鳴りません。そうすると演出家の意向か無理解かどちらかにぶつかることになります。

脚本は駒の数も位置も作者が自分で決められるだけに、可能な範囲でとどめておくのがベストです。これを知ることも大切で、私の場合2〜5人くらいまでがベストのようです。また人数だけでなく、人物のキャラクターや設定も作者の思い入れが十分にしやすいことが大切。これについてはいずれ書きますが、人物が物語の中で演じるベクトルが強いほど、全体としてよいストーリーになります。ベクトルとは方向と強さ。方向はその人物の指向、強さは作者の思い入れです。これを人物1人1人に設定でいないと、よい物語にはならないと思います。そういう意味で、将棋における「物語」は参考になるかもしれません。あ、でも一度死んだ人間(相手に撮られた駒)を再び舞台に出すことは演劇では難しいですね。

行こうとしているのは「けものみち」か!

私は結構仕事の合間にIT関係のブログやニュースサイトを読みます。本職とは何も関係ありませんが、けっこう「そんな考え方ありか!」みたいな「目から鱗」的なものを見かけるからです。考え方や固定されたパラダイムを変えることって楽しいことです。
で、明日は出張で長い時間汽車の中にいるので、読書で時間をつぶすことが必要です。それでふらふら書店を歩いていると、これを見かけました。「ウェブ時代をゆく」。「ウェブ進化論」で一世を風靡した、梅田望夫さんの最新刊です。前のも結構おもしろかったですが、ある意味、自分の生活とはややリンクしない面もありました。

30歳まで演劇の脚本と演出をやっていてフリーター、これじゃいかんとサラリーマンになってホームページやCGの営業、その後親切な上司の紹介でなぜか北海道の花の雑誌の編集者。今でも演劇の脚本は書いていますが。

会社員もやれば出来る自分にも驚きましたが、どうも組織は苦手です。役割を振られること自体が納得できないからでしょうか。やりたいことが二重三重の意志決定を経ないと進められないからでしょうか。

じゃあ何がやりたいのかというと、普通、編集者とか経た人ならライターとか「誰にでも想像できる」仕事をするのでしょうが、私の場合どこにもない職業です。と言うか、それが職業として成立した例のないものです。ちなみに2つあります。

  1. 物語、ストーリーをつくって、それを小説や映画の中ではなく、現実社会のあちこち(階段とかブックカバーとかビルの壁とか)に、人の暮らしとリンクする形にして、絵で表現する仕事
  2. 花と人の暮らしとの架け橋、あるいは花に関わる人どうしの架け橋になる仕事

1のために、実は今文庫本用のしおりを考えています。近いうちにごらんいただけると思います。いや、もちろんフリーで使っていただけるようにします。2に関係することとしては、来週、ガーデニングをやっている方の集まりでフォーラムのコーディネーターをさせてもらうことになっています。もちろんこれも無償です。

まあどちらのせよ、こんなものでどうやって食べていくのか、それはそもそも「職業」なのかと自分でも思いますが、なんとそのことに関して「ウェブ時代をゆく」に書かれているんです。

「けものみち」とは高速道路を疾走するのに比べると、まあ何でもありの世界である。好きなこと、やりたいこと、やりたくなくても出来ることを組み合わせ、ときに組織に所属するもよし、属さぬもよし、人との様々な世界を大切にしながら、「個としてのストーリー」を組み立て、何とかごちゃごちゃ生きていく世界だ。

まさに「そうそうこれ!」と膝を打ちたくなるような説明。またこの本には、そうやって生きていくために必要な力や知識の習得方法まで書かれています。

驚きです。私のような中途半端なキャリアの人間のために書かれた内容があるとは。「まずは自分の能力に正当な対価を払ってくれそうな人の名刺を500枚集めてみてはどうか」というのも具体的です。

あ、もちろん本に書かれているのはそれだけじゃないですよ。でも前の「進化論」がウェブ社会はどういうものになるのか、それによってリアルも含めて社会はどうなるのかについて書かれていたのに対し、この「時代をゆく」は「ウェブ時代」でのキャリアとかどうやって食べていくか、ということなど、個々人へのアドバイスとして有効になるように書かれているのではないでしょうか。おすすめです。

生命の起源は? なぜここにいるのか?

日本人の起源、人類の起源、生命の起源、宇宙の起源…。
私は起源好きです。その手の本は大好きです。中でもすべての根源である宇宙の起源に関する本が一番好きなのですが、ここ10年くらい、ビッグバン仮説や大統一理論、超ひも理論などからあまり「目から鱗が落ちる」的な学説がないのが残念です。
そんなこともあって生命関係の本を続けて読みました。

「生命の星・エウロパ」は、南極の氷床下の湖や地底、熱水鉱床などに見つかるバクテリアなどをもとに、木星の衛星に生命の可能性を探そうというもの。私は元々天文少年なので、この手の話は結構好きです(実際、小学生の頃にこのエウロパも観測したことがあります)。逆にUFOとか宇宙人はいまいち。だいたい地球人と同じように左右対称で頭が上にあって二足歩行で手が2本、なんていう宇宙人というイメージは想像力が足りなさすぎると思っているくらいです。もしいたらきっと人間と祖先を同じにしているはずです。ほかの天体で生まれて、ほかの予想もつかないアクシデントによって進化したはずですから、ぜったいにイメージの範囲外の姿をしているはず。そういった意味では、地球上のどの生物にも似ていないと思います。

とはいえ、エウロパにいると思われるのはせいぜいバクテリア程度の生命と思われるので、宇宙人まで行きませんが。もしいたとして、そこに地球から送られてきた人工衛星やら宇宙船やらを見つけたら、すごいパニックになることでしょう。「宇宙人!」「助けて!」「エウロパ最後の日かも!」「アースアタックや!」と大騒ぎにちがいありません。そういう意味では、探査にも気遣いが必要ですね。イヤ、本の内容とは関係ありませんが。

地球の生命はいかにアクシデントによる偶然性で進化してきたか、そのアクシデントと偶然による産物が人間であることをよくわからせてくれるのが「進化の謎を追え!」です。

だいたい単細胞から多細胞生物になって、人間の目に見えるような大きさになったのがせいぜい5億年前ですから、いや、そのとき人間はいませんけどね、地球の歴史は46億年ですから、だいたい生命の歴史なんてつい最近のことで、人間の誕生なんてついさっきのことです。それでね、アメリカがどうしたとかテロだとか会社の成績がどうしたとか、近所のテレビがうるさいとか、いったい何やってんでしょうかね、われわれは。

だいたいねえ、太陽の光が地球に届くまで8分ちょい、冥王星まで…何時間かかかって、一番近い恒星まで3年半くらいかかって、銀河系の中心まで3万年で、アンドロメダ星雲まで230万年かかって、宇宙の端まで150億年かかるんですよ。口内炎が出来て痛いとか、MacOSXの新しいやつが不具合だらけで腹が立つとか、自分が正しいと思っている国の姿になっていないから若者はおかしいとか、信仰している神が違うからあいつらは異常だとか、だいたい神がいるとかいないとか、それは私ですとか、言ってる場合ですか。あ、そんなにムキになることはないですね。

とにかく「これが常識」とか「これが正しい」とか思い続けたい人ではなく、常に自分の視野を変え続けていきたい人には、おすすめです。